【第10回】(最終回)米国横断ドライブ旅行記2024

はじめに
 早いもので、この米国旅行記も今回で最終回となりました。これまで、毎月見ていただいた皆さんに、何かお届けできるものがあればと連載を続けてきましたが、俺も/私もいずれやってみようと思われる方が少しでも出てくれば嬉しいですね。さて、いよいよケープコッド(Cape Cod)2日目の朝から最終日まで、怒涛の10日間の話で締めくくらせていただきます。

1.三人目の友人との再会
 Cape Codでの6/17(月)の朝は、前夜飲みすぎたので、少し遅めの6:30起床、9:00にはモーテルを出ました。そして、まずは前々日にRobert Martin氏に教えてもらった反則切符の裁判所への送付です。ネットで近くの郵便局を探し、もしもの時用にコピー(註:日本からの海外送金時に役立ちました:第8回記載)をとってから郵送しました。さあ、この後どうしようかと家内と車内で相談中、長旅の疲れも出てきたのでしょう、元々咽頭炎で喉が弱く、乾燥時など咳き込むことが多い私は、痰が絡みひどく咳が出て困りました。この時点でこの旅の初日にサンフランシスコの友人にいただいた4袋の飴が底をついていました。大慌てで、近くのスーパーで‘のど飴’若しくは代用品なるものを探したのですが、それが全くないのです。飴といえば、グミのようなものしかなく、米国人には日本でよくある硬い黄金糖や黒飴のようなものをなめる習慣はないことを思い出していました。そこで、Google検索でCVS/ファーマシーを探しだし、店員に咳に効く飴(Cough Drops)はないかと尋ねて陳列棚にあるのを見つけ、残りの日数分買い込みました。日本ののど飴のような重宝な飴は現地スーパーになく、代用品はドラッグストアでということを皆さんも覚えておいてくださいね。

 さて、この日の夜はコネチカット州の田舎町バーリン(Berlin)というところに宿をとったのですが、遠く750km離れたデラウェア州(Delaware)に住む友人と翌日の6/18(火)に会う約束をしたため、経由地ということで選んだ場所でした。約250kmと距離的に近かったこともあり、せっかくのCape Codにもう少し滞在しようと決め、午前中は、コッド岬半島の‘腕’の先のProvince TownとHyland灯台のドライブ観光を楽しみました。そして、また舞い戻ってルート195そしてルート93を経由して、Berlinのモーテル到着は17:40でした。図1にCape Codから、Berlin、Delawareの位置関係を示します。Berlinでは、近くに良いレストランがなかったので、酒屋の横でみつけたパキスタン料理のTakeoutの夕食となりました。意外と美味しかったのですが、20日間の長旅を経て、何を食べても美味しいという体感になっていたようでした。

 翌日6/18(火)は、いよいよ30年近く前の私の青年期、1997-1999年に住み慣れたNY/NJ州を通過して、友人が待つデラウェア州(Delaware)へ向かう約500kmの旅です。当時の私は、髪の毛ふさふさの37歳という若き時代で、塩野義製薬が開発中の新薬のライセンス先であったシェリングプラウ(Schering-Plough)のNJ州の2工場にCMC/GMP研修で滞在していました。このSchering-Ploughで、当時インターフェロン等のバイオ医薬品の製造を担当されていた韓国人のLeeさん(83歳)という方に、公私ともに大変お世話になりました。彼とは、2012年にNY/NJで会って以来でしたので、是非この旅行の最後に会えないかと思い、サンフランシスコに到着以降、毎日のように電話していました。最初はなかなか応答がなかったのですが4~5回目に繋がり、アポがとれました。なかなか電話に出てくれなかったのは、私の電話番号がeSIMで今回の旅行用に設定された‘初物’なので、きっと怪しい売り込み電話であろうと考えたらしいのです。当日は直接彼の自宅で会うことになり、自宅住所をそのままナビに入れ、モーテルを出発しました。

地図をみるとDelawareはワシントンの近くでもあることから、彼に会う翌日以降の計画も頭の中では既に出来上がっていました。途中、NYそして昔日に住んでいたNJ州のFort Leeの看板を懐かしく眺めながらひた走り、彼の住むドーバー(Dover)という町のモーテルにチェックイン後、ナビ通り正確に彼の自宅前に到着したのは、夕方5時になっていました。個人の自宅前まで正確に連れて行ってくれる携帯ナビの威力をあらためて実感しました。彼が住む町は本当にきれいで閑静なたたずまいで、ちょうど到着時に玄関前で待っていてくれたので、すぐわかりました。30分ほど彼の自宅で再会を喜び歓談した後は、一緒に食事です。残念ながら彼の奥様は息子さん家族がおられるサンフランシスコに出かけているとのことでしたが、彼がNJ州に住んでいた頃からの韓国人の友人2人も加わり、5人で我々の滞在モーテル近くのレストランでの食事となりました。聞いてみると追加2名はNJ州時代からの友人らしく、Schering-Ploughを定年退職した後、固定資産税が安く(NJの1/5)、住みやすいこの町に、家族ぐるみで一緒に引っ越ししたそうです。当人は、83歳にもかかわらず毎日ジム通い、年2回は海外旅行(最近はオーロラ見物でアラスカへ)もしているそうです。4か月後の10月には日本旅行を予定しており、大阪にも立ち寄ると聞いたので、実際に昨年10月には彼と奥様とも大阪で再会できたのは、この旅行の大きなおまけでした。食事中、彼からは75歳を過ぎると1年で筋肉は30%落ちると脅され、ジム通いを強く勧められましたが、今もできていないので、次回会ったときは叱られるかもしれません。

図1 Cape Cod~Berlin~Dover(Delaware州)の位置関係
写真1 Delawareにて
左:友人Leeさんが住むDelawareの町並み、右:夕食会(向かって右手前がLeeさん)

2.メリーランドにて
 Delaware州の次の行先は隣のメリーランド(Maryland)州です。残り8日の過ごし方に思いを巡らせ、2001年のテロ事件、いわゆる9.11に遭遇した出張先のワシントンDC、そしてその後立ち寄ったアナポリス、ボルチモアに行こうと考えました。その3か所への好アクセス場所として、中間点にあるローレル(Laurel)という町に3泊することにしました。その後は、NY/NJに戻ること、途中にフィラデルフィア美術館に立ち寄ること、NJでは田舎のラムジー(Ramsey)に宿泊し、近傍のウッドベリーコモンアウトレットに行くことも含めて、この後の5日はNJ/NYで遊ぶことを決め、旅行前に予約済のNewark空港そばの最終日のモーテルを含めて、残りの全日程の予定が決定しました。図2の各都市の位置関係をみれば、全体像がわかるかとおもいます。

 6/19(水)は、DoverからLaurelの途中にあるアナポリス(Annapolis)です。チェサピーク湾に面した港町で、米国の海軍兵学校があるこの地は、まさに2001年の9.11のテロ事件後に、毎日、帰国切符を求めてANA/JALのオフィスめぐりの後、空振りに終わり何もすることがなく途方に暮れながら、出張メンバー6~7人で訪れた場所の1つで(もう1つは後述のボルチモア)した。そのメンバーの中には、既に他界された方もおられ、時の流れの速さを痛感するとともに、心の中で合掌する日となりました。当時は9月半ば、涼しく少し寒いぐらいであったことを思い出していましたが、この日は35℃の猛暑で、好物のクラムチャウダーとムール貝の昼食の後は、街歩きもそこそこにアイスクリームで体を中から冷やし、その日のアルコール類を買い込んだ後、Laurelのモーテルにチェックインしました。

 翌日6/20(木)はワシントンDCです。モーテルからは車で約1時間、この日も猛暑で気温35℃に達していましたので、少し歩くだけでくたくたになりました。行く先は、スミソニアンのナショナルギャラリーと少し距離が離れますが、フィリップコレクションの両美術館です。いずれも3回目か4回目ですが、芸術に縁がない私でも良い絵画は飽きませんね。車をスミソニアンの近くのホテル地下に駐車した後は、徒歩&メトロを利用して両美術館を満喫しました(写真2)。残念ながら、ナショナルギャラリーは改修中で、印象派絵画展示の部屋の大半がクローズでした。夕食はモーテルの近くで、Beer持ち込みOKのレストランでアジア料理をいただき、猛暑と両美術館内1万歩以上の徒歩の疲れで、Laurelの2泊目の夜は、シャワー浴びた後はバッタンキューでした。

 

 

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