医療機器の生物学的安全性 よもやま話【第45回】

 

生殖発生毒性は不可逆な結末を招く

 

 これまで生殖発生毒性についてお話ししてきましたが、生殖発生毒性が特に子世代にとっては不可逆な結果をもたらす毒性であることを強調したいと思います。
 今までご説明した毒性反応は、毒性物質にばく露された個体に対する毒性です。例えば感作性であれば、ばく露した個体にアレルギー反応が生じてしまうという毒性反応ですし、亜慢性毒性であれば、ばく露した個体の全身に何らかの毒性反応が及ぼされるというように、あくまでもばく露した当事者に対する反応です。発がん性もしかりです。
 ところが、生殖発生毒性に関しては、ばく露した個体に影響があるだけではなく、子世代に対して影響を及ぼすという点で深刻です。生物の生きる目的は、個体の生存だけでなく、種が維持されていくことにつきます。その観点で、子世代に影響するという毒性は、種にとっては大きな問題であると言えるでしょう。
 加えて、子世代に影響する場合、先天異常という形で毒性反応が固定化してしまい、少なくとも子世代の個体に対して奇形のように簡単には治癒できない不可逆性の結果をもたらしてしまいます。また、もし、遺伝子を変えてしまうような生殖発生毒性があった場合、子世代だけではなく、その後の世代にまで影響するかもしれません。
 このように、生殖発生毒性は次世代に不可逆な結末をもたらす可能性があるため、特に今まで医用材料として使用前例のないものを用いる場合は、十分に気をつけていただきたいと思います。

 性ホルモンと呼ばれる一群のホルモンがあります。これらのほとんどは、ごく微量で作用します。例えば、女性ホルモンの代表であるエストロジェンなどの性ステロイドホルモンはpg/mLオーダーの濃度で作用します。ピコというのは、ミリ、マイクロ、ナノの次で、それぞれ103単位ずつですので、10-12オーダー(1兆分の1)ということです。1 pg/mLは25 mプールに0.3 µgを溶かしたくらいの量に相当するということになりますが、そもそも0.3 µgなどという単位のものは想像つきませんよね。こんなにも微量の単位で作用するということになると、今までの常識では対応できない場合も出てきます。このような微量で作用する可能性のあるホルモンに類似した化学物質により、内分泌系がかく乱される恐れがあるとされたのが、内分泌かく乱化学物質(Endocrine Disrupting Chemicals, EDCs)です。ホルモンの多くはレセプターという受容体に結合してはじめて作用するのですが、鍵と鍵穴のような関係であるにも関わらず、形(化学構造)がよく似た鍵が多量にあると、間違ってその鍵穴に入ってしまい、扉が開いてしまうというようなところでしょうか。

 以前用いられていた哺乳瓶の樹脂にポリカーボネートがありました。熱や衝撃に強いので、今でもいろいろな用途に用いられています。余談ですが、北海道の列車の窓にも氷雪による破損防止のため20年ほど前から使われており、北海道で列車に乗ると窓が黄色っぽいと思った方もあろうかと思いますが、この樹脂が劣化したためのようです。ポリカーボネートの原料が、前回ご紹介したビスフェノールA (BPA)です。BPAにエストロジェン様作用があるということで、哺乳瓶からポリカーボネートは一気に排除されました。あくまでも実験動物レベルでのエビデンスですが、胎児や新生児への影響が確認されています。そこで、人の耐容一日摂取量(TDI, Tolerable Dairy Intake)が設定されました。

 BPAのTDIは、体重1kg当たり0.05 mgで、体重50 kgの人であれば、1日2.5 mgまでは毎日一生摂取しても、特に問題はないことを意味しています。でも、ちょっと待てよと思いませんか。上の方では1兆分の1 gとか言っておきながら、2.5 mgとはずいぶん多いなと思われたのではないでしょうか。ピコグラムオーダーの10億倍です。これが化学物質によるホルモン様作用の作用濃度で、おそらく摂取しても吸収されなかったり、代謝されてしまったり、標的臓器にうまく分布しなかったりというような、吸収、分布、代謝、排泄の問題があろうかと思いますが、それでも10億倍もありますので、それだけで説明はできないように思います。そのようなこと背景にあるのかどうかわかりませんが、2023年4月に欧州EFSA(European Food Safety Authority)は、BPAのTDIを0.2 ng/kg体重/日に大幅に切り下げました。0.2 ngというと、200 pgに相当しますので、ホルモンレベルと言ってよいかと思います(pgオーダーは化学分析で安定的に検出しにくいくらいの低レベルです)。ただ、これについては異論がありますので、永続的に用いるTDIとはならないかもしれません。ちなみに大豆イソフラボンもエストロジェン様作用があることが知られていますが、特定保健用食品としての大豆イソフラボンの安全な1日上乗せ摂取量の上限値を30 mgと食品安全委員会が示しており、こちらはミリグラムオーダーです。ただ、ホルモンと比較するとはるかに多量とはいえ、ミリグラムオーダーで作用するということになると、それはそれで問題であり、コントロールしないわけにはいかないということになります。
 

 

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