医薬生産経営論【第1回】

 自宅近くの大川(旧淀川)端を毎朝散歩する。
 私はこの大川端の桜並木の、短くも鮮やかな満開の季節が最も好きである。厳しい冬を耐え、春が再び巡り来ることの喜び、即ち、還暦過ぎの私には1年を無事に生きてきた喜びと、新しい1年に向かっての少しばかりの希望を、煌めく川面とともに感じるのである。
 桜並木と毎朝、時には立ち止まって、語り合う。
 

...人生が二度あれば、君はもう一度、医薬品の生産現場に立ちたいかい?

...もう私には辛い。生まれ変わったら今度は、生命に関係のない、別の仕事をしてみたい。

...君のこれまでの人生の夢はいったい何だったのか?日本の製造業を再び世界一にする、80年代のあの栄光を、医薬の生産現場に再び取り戻すということではなかったのか?

 
 老いた桜木の朽ち果てそうな幹の根元近くから、1本の新しい小枝が伸びている。そして、その小枝に、美しく可憐な花が手毬のように咲いている。
 私には夢がある。絶対に捨て切れない夢がある。そして、私は何よりも生産現場が大好きだ。
 
 美しい花は誰からも愛され称賛される。しかし、それは花が咲く季節だけであり、他の季節には誰もこの桜並木を称賛しようとはしない。灼熱の夏の陽射しや凍てつくような冬の北風に耐えて、生命の弛まぬ営みがあってこそ、春に美しく花は開くのに、他の季節の地味ながら懸命な日々の営みに誰も敬意を払わない。
 
 生産現場の人や技術や設備に投資をしない。
 一方で、細かな経費節減は得意であり、新卒採用も平気で何年も止め、それらによって成果は著しく出た、花が咲いたと厚顔にも主張する。だが、それで生産現場の競争力が上がったという話は聞こえてこないし、その自慢する花が、自律的な生命力を持たない、そして、もはや成長することのない「ドライフラワー」のようなものだとは全くもって気付かない。
 今日の日本の製造企業のひとつの弱みは、50歳台後半の最も経営に必要な人材層が数的に希少であるということである。この原因は、1973年の第一次石油ショックとその反動による景気停滞以降、約10年間、新規採用をかなり抑制したからである。私自身もそうであったが、団塊世代の多くの人は、自身のポストの後継者候補となる第二次レイヤーの人たちが10歳ほど年下であったという経験を持っているに違いない。この10年間の年齢別人員構成上の断層が、約10年間に亘って平気で新規採用をしなかったことで生じた活断層が、21世紀を迎えてから、日本の製造業において、その停滞と混迷と不連続性いう謂わば「人災」の形で、強烈な程までに激しく振動したのである。
 
 経営者は生産現場に出ない。
 綺麗で安全な役員室の中で、教科書通りの方針と戦略しか考えない。しかし、残念なことに、医薬生産の「あるべき成果状態(Vision)」や「戦略戦術」といったことは教科書にはあまり出てこない。だから、益々、生産への投資に臆病になるし、生産現場に出る勇気も失せてしまう。
 そんなことで、日本の医薬生産現場の競争力を強化でき、医薬生産経営を再び栄光ある復活に導くことが出来ると思い込んでいるとしたら、役員室の机上で生まれた自らの戦略が生産現場から信頼されていると思い込んでいるなら、そんな経営者には絶対に出会いたくない。
 人びとの生命に関連する医薬生産現場は、常に、技術との過酷で真剣な葛藤の場であり、現場を知らない経営者に、医薬生産現場のあるべき姿を語ることの「空しさ」は、もう誰にも味あわせたくないと願う。
 
 これまでの私の人生を支えてきたもの、それは夢である。ならば今、'I have a dream'と叫んで、日本の医薬品の生産経営について語りたい。そう、大川端の還暦桜が毎朝、私にやさしく語りかけて励ましてくれたように。

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