ドマさんの徒然なるままに【第32話】品質道


第32話:品質道

序章

本話は、『勝手にGMP論』シリーズ*1の第7弾(カミングアウト版を除く)である。しかも、もろ私見であり、読者のお好きなHow To物ではなく、パッと見、いや、パッと読みすると、精神論にさえ感じるかもしれません。が、ちゃんと最後までお読み頂ければ、医薬品の品質保証の運用に役立つこと、運用に必要な要素を真剣に語っていることがわかって頂けるんじゃないかと思います。

そもそも、よーく考えてみてください。GMPの“P”は“Practice”ですよ。GMPとしての訳語としては「実践・実行」とか「行動・活動」とかの意味合いで使われているかと思いますが、単語としては「練習」や「訓練」という意味での使い方のほうが多いんじゃないでしょうか。米国人が“Practice, practice!”と掛け声かけたら、それは「練習だよ、練習!」の意味合いですからね。

と言うことで、本話、あくまでそういう風にも考えられるよなー、といった程度で受け止めて読んで頂ければ、それで良いと思っている。

ちなみに、本話においては、品質に関わるGood Practices全体、具体的にはGMP省令・GQP省令・GCTP省令・GDPガイドラインの総称として「GMP」と記しているので、その点をご容赦願いたい。
 

第1章:JUDO vs. 柔道

東京2020オリンピック・パラリンピックが閉幕した*2。開催の是非はともかくとして、開会した以上は日本を応援したいと思い、TV観戦により応援した。今回の大会、予想以上のメダルラッシュ。選手の方々、COVID-19禍の中で、1年延期にも拘らず、自国開催ということで、気合いの入れ方が違ったのであろうか、予想以上の結果が出たものと思う。

特に柔道のメダルラッシュには目を見張るものがあった。開会式翌日から試合開始と言うこともあってか、他の競技の日本選手たちに活を入れたようにさえ感じた。個人的に感じたこととして、柔道の選手の皆さん、その勝敗に拘らず、武道としての“”を示してくれたことである。勝っても派手なガッツポーズをする訳でなく、敗者への礼を尽くしていたこと、「礼に始まり、礼に終わる」と言われる日本の武道の精神を尽くしてくれたことである。会場は日本武道館、ご存知のように、1964年東京オリンピックの柔道競技会場として建設され、以降は武道の象徴、聖地として扱われている場所である。「古いなー」と言われそうだが、個人的に、スポーツとしての「JUDO」と武道としての「柔道」は異なると思っている。勝手な意見であるが、スポーツは元々の娯楽が発展し、勝敗を重んじることに至った。一方で、武道はその道を極めることが目的で、結果としての勝敗よりもプロセス(まさに“道”)を、技術面に加えて精神面での鍛錬*3を重んじる。
 

第2章:Quality Culture vs. 品質道

さて、医薬品の品質はどうか。GMP、西洋の文化からの思想によるものである。特に、性悪説から生じているといったこと。日本人の基本的思想、まして“道”の思想からはほど遠いように思えてならない。どんなにGMPを強化し、監視を強化しても、違反行為が無くなるとは思えない。数は減るであろうが、反動として心無い犯罪的行為に至る者が出て来ることが懸念されると言ったら叱られるであろうか。

法規制の強化に異論がある訳じゃない。ただ、それだけでは運用に無理があると言いたいだけである。運用するに当たってのマインド(スピリッツ?)が必要になるんじゃないかと思うだけである。その醸成が「Quality Culture」だよと言われれば、その通りかもしれない。いや、たぶんそうであろう。だが、筆者としては、目的としての「Quality Culture」は理解しうるものの、その醸成プロセスについては不透明さを感じるのである。むしろ、スポーツにおける勝負の結果ではなく、鍛錬と言うプロセスを重んじる『品質道(ひんしつどう)』があっていいんじゃないかと思うのである。少なくとも、性善説を原点とする日本人である筆者にとっては、「品質道」のほうが感覚的にアクセプトし易いのである。
 

第3章:余談とはなりますが、

余談ですが、読者の皆さんは「武道」の定義をご存知だろうか。日本武道館によると、「武道は、武士道の伝統に由来する日本で体系化された武技の修錬による心技一如の運動文化で、心技体を一体として鍛え、人格を磨き、道徳心を高め、礼節を尊重する態度を養う、人間形成の道であり、柔道、剣道、弓道、相撲、空手道、合気道、少林寺拳法、なぎなた、銃剣道の総称を言う。」とある*4。また、Wikipediaによると、「人を殺傷・制圧する技術に、その技を磨く稽古を通じて人格の完成をめざす「道」の理念が加わったものとされる。」とある*5

そのうちの「柔道」は、日本古来の武術「柔術」から1882(明治15)年に嘉納治五郎師範が始めたもので、「技を高めることのみにこだわらず、相手を敬う心をもって礼を重んじ、人間形成をする有効な手段であると精神的な発展を目指してきた。」とある*6

ここに、スポーツと武道の違いがあると筆者は感じるのであるが、読者の皆さんはどう思うであろうか。
 

第4章:外心内証

まず、「外心内証」なんて言葉は無い。筆者が勝手に作った言葉である。そもそも、筆者の知る限り、精神的な意味合いでの「外心」なんて言葉は無い。あるのは、三角形の外心くらいである。ここでは、“外部者への思い、気配り”の意味で用いている。一方、「内証」は、元は仏教用語で、“自己の心の内で真理を悟ること(内面的な悟り)”であるが、一般的には“表向きにせず、内々にしておくこと”として用いられる。ただ、「証」という文字自体には、「あやまちや誤りを指摘し改めるように忠告する」という意味があり、転じて「言葉で正す」という意味があるらしい*7

柔道の話の延長で申し訳ないが、講道館のマークの意味をご存知であろうか。白い花に、中心が日の丸になったような模様である。講道館によると、「講道館員は、内に鍛えられた実力と強い心を持ち、外には穏やかに柔らかく正しい態度を表すように、つまり"外柔内剛"の精神を常に持つように、との願いが込められています。」とある*8

上記の行動管理マークをもじったものが「外心内証」である。外(医療従事者・患者など)に対しては心を込めて、気配りを施し、内(製造業者・製造販売業者業者など)に対してはエビデンス(拠)の基にresponsibilityとaccountabilityを持ちなさいという意味合いである。筆者なりに医薬品の品質という観点で創作した造語であるので。覚える必要もなければ、同意する必要もない。ただ、個人的には何となく腑に落ちる言葉なんじゃないかと思っている。「それは勘違いの自画自賛だよ。」と言うのであれば、それはそれで結構である。
 

第5章:精神論は根性論じゃないよ!

「GMPは科学である。」が筆者の座右の銘であるが、スポーツも科学的になったように思える。今回の東京2020オリンピックを観て、つくづくそう思った。科学的観点からの指導と練習により効果を上げる。その結果が今回の大会に結果として現れたように思える。筆者が子供の頃と言えば、「スポーツは根性で鍛えるもの」といった捉え方をされていた。どんなに喉が渇こうが、「水を飲むと余計に疲れる」とか、「根性が足りないから水を欲しがる」だとか言われ、水を飲まずにひたすら耐えることが求められた。腕がつろうが、足がつろうが、「根性の無い奴」と先生から指導(バッシング?)される。現在であれば、完全なパワハラである。むしろ現在では、筋肉疲労で逆効果だとして、適度に休ませるであろう。

スポーツで言う科学的指導は、現実的かつ効果的な対応としては、個別指導に至る。各選手の持ち味(特性・特徴)を活かし、性格(個性)をも考慮して、練習ひとつとってもベストウェイを見いだして向上させる。GMPだって同じなんじゃないのか。ひとつとして同じ会社や製造所が無いように、その会社や製造所に見合った方法で品質向上を図る。その背景や根拠には、普遍的な“科学”というエビデンスが存在する。ただ大事なことがある。本人が頑張って上手になろう(向上させよう)とする意欲なくしては成立しないということである。

GMPはスポーツと違うが、「根性で品質の向上が目指せるか?」と問われれば、そんなことは在り得ないとわかるであろう。冒頭で、本話は精神論だとは言ったが、根性論ではない。何も考えずに、ひたすら「GMPコンプライアンスだ!」、「Quality Cultureの醸成だ!」と唱えることは、過去のスポーツ練習で言われた根性論と同じなんじゃないかという、警鐘のつもりで記している。まずは、「どこに品質リスクが潜在するのか調査せよ!」、それが危害として顕在する可能性があるならば、「それをどうやって対処するか科学的に考えよ!」と言いたいだけである。具体的な対策、それこそHow Toについては、申し訳ないが、ケースバイケースとなるので個別にコンサルテーションでも依頼されなければ答えようがない。漠然としているが、考え方しか述べようがない。そういう意味で、冒頭で本話は精神論だと述べたのである。
 

第6章:性善説に基づくGMPなんて在り得ないのか? 

性善説に基づくGMPは在り得ないんだろうか。あくまで個人的な推測と意見にすぎないが、米国企業が“Quality Culture”を言い出した背景には、規制当局の性悪説による監視強化と社内規則の厳格化(要は、目に見える形での物理的手段)に限界を感じて言い出したことなんじゃないかと思っている。また、米国FDAがそれに乗った背景には、査察実施件数の限界もあって“Quality Metrics”を持ち出したことと相まっての自浄作用を期待してのことなんじゃないかと想像する。「Quality Cultureの醸成」って、結局のところは、物理的対応に限界を感じて精神に拠り所を求め出したようにしか思えないのである。

だからと言って、「GMPコンプライアンスだ!」や「Quality Cultureの醸成だ!」は間違っている訳ではない。それ自体はその通りであるが、その原点には『こういう目的のために、このゴールに向かい、まずはこの目標を持って、このようにしよう!』という意図があって、初めて意味をなす。そういう考え方が大事だということで、精神論だと言っているだけである。そして、そのゴールへの目的達成のための目標設定とそれに至るプロセスこそが、本話で言う『品質道』のつもりである。解釈や捉え方の違いはあるであろうが、『医薬品の品質は安全性と有効性の源であり、その品質は患者さんのためにある』という意味においては、同じなんじゃないかと思っている。
 

第7章:品質道に磨きをかける。

ならば、性善説に磨きをかけたGMP、それが品質道。そんなものがあってもいいんじゃないのか。言い過ぎをご容赦頂き、ぶっちゃけ言うと、性悪説をベースに法規制を厳しくし、それに乗って、コンプライアンスと称して委託先なり供給先を疑ってかかる。何かあれば「契約に基づき」とか「Quality Agreementに基づき」と称して、表面的には“疑り”を見せないように隠す。そんな姑息な状態に導くことが望ましいとは思わない。それはお前の偏見だよと言われればそうかもしれないが、ときにそんな風に思えたりするのである。

「普段の練習が勝敗を決する」という言葉、スポーツの世界では当たり前のように発せられる。じゃー、GMPの世界はどうか? 勝敗がある訳じゃない。査察や監査で指摘ゼロであっても、それは勝ち負けとは言わないし、関係ない。敢えて言えば、普段のチェックが品質の維持・向上に繋がるんじゃないだろうか。

そして、普段の絶え間ない品質確保の尽力・努力が品質保証という形で企業としての信用・信頼を築くと思っている。“Good Practice”には、そんな秘められた涙ぐましい努力が含まれており、それが結果としての行動に反映して現れると思っている。読者の皆さんにあっては、品質を重んじる精神、『品質道』に磨きをかけて、極めて頂きたいと願う。
 

終章:I’m proud of ----.

COVID-19禍の中でのオリンピック・バラリンピック、開催前には色々な問題も発覚し、開催そのものが危ぶまれた。開催中には感染拡大もあり、緊急事態宣言も発令された。でも、それ以上に感動を与えてくれた。異論も反論もあるであろうが、少なくとも選手に罪は無く、ましてその勝敗に関係なく、必死になって頑張ってくれたという事実は認めたい。米国人は、良く「I’m proud of ----.」として家族や仲間を褒めたたえるが、現在の筆者、素直に「I’m proud of Japanese as a Japanese.」の心境である。

日本の医薬品品質は、外観も含めて世界一だと思っている。そこには、日本人としての「美徳」であり「美学」のような“モノ造り”の精神、すなわち『品質道』が宿っているからなんじゃないかと思っている。

最後に、勝手なことばかりを言って申し訳ありません。最後まで読んでくださった方に感謝いたします。ありがとうございました。


では、また。See you next time on the WEB.

 

【徒然後記】

実況中継の解説者さん、あなたも応援したい!
またもオリンピックの話で恐縮だが、各競技の解説者として、元選手の方々などが解説してくれる。競技のルール、技、難易度に加え専門用語についても教えてくれる。大変ありがたい。しかし競技の実況では、解説者が我を忘れて興奮のあまり激励する。例えば、水泳での「行ける、行けー!」、柔道の「ここは冷静に落ち着いて行け! 彼は冷静ですね。すいません、私が興奮してしまいました。」、さらに「うそ、うそ、うそ……」、「慌てるな、打て、打て、打て、1発、1発!」などなど。実況であり、TV放映されていることを完全に忘れている。解説者も人間であり、まして自身が過去に同様の状況を味わっている分だけ、競技者に入り込んでしまった言葉なんじゃないかと想像する。解説者の力の入れ具合と共に自身の応援にも熱が入る。異論もあるであろうが、個人的にはこんな実況が競技への愛情と人間臭さを感じて大好きである。解説者さん、私はあなたのことも応援したい、とそう思ってしまう。そんな感覚を持ちながら、GMDPを“ゴン攻め”したいと思ったりする。


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*1:『勝手にGMP論』シリーズ、第1弾から第5弾までは、以下の通りである。
第1弾:第5話「X+Yの悲劇
第2弾:第6話「Psの悲劇
第3弾:第9話「Sustainable GMP
第4弾:第10話「世界に一つだけの GMP
カミングアウト版:第14話「Into The Unknown
第5弾:第18話「ミッション:ポッシブル
第6弾:第27話「GMPの質・前編」および第28話「GMPの質・後編
 
*2:本話、8月27日に原稿を事務局に送付し、掲載は9月10日の予定である。執筆時点ではパラリンピック開催期間中となるが、掲載日には閉幕しているということで記していることをご容赦願いたい。
 
*3:日本語はマジ難しい。ここに挙げた「鍛錬」以外にも、本話にも出て来る「練習」や「訓練」、さらに「修練」など、似て非なる言葉が多々あり、それぞれの言葉の由来込みとして本来の意味は微妙に異なっている。
 
*4:日本武道館による「武道」の定義
https://www.nipponbudokan.or.jp/shinkoujigyou/teigi
 
*5:Wikipediaにおける「武道」の定義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E9%81%93
 
*6:講道館のホームページより
http://kodokanjudoinstitute.org/
 
*7:「証」という漢字の意味・成り立ち
https://okjiten.jp/kanji782.htm
 
*8:講道館のマークの由来
http://kodokanjudoinstitute.org/beginner/about/
 

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