通訳あるあるネタ【第2回】

通訳者としての最初の仕事は、フランス人宝石商の通訳でした。
年に三回、幕張メッセや東京ビッグサイト、帝国ホテルで行われるジュエリーの展示会やその後の顧客訪問での商談通訳をしていました。19歳で日給4万円頂いていたので、とても良いバイトだったと思います。帰国子女やバイリンガルが今よりめずらしい時代でしたので次々と仕事が舞い込み、大学生なのに銀座で接待の通訳をしたり、お客様から受け取った分厚い札束を数えたり、ハイヤーで移動したり…学生とは思えない経験をたくさんしました。通訳のトレーニングもせずに急にデビューしたので、メモを取ることもせず、今から考えるとよく仕事ができていたと驚きます。

初めて通訳訓練を受けたのは、NHKの放送通訳養成講座でした。逐次通訳と同時通訳と放送通訳(時差通訳)がそれぞれ違うものだということも分からず、ABCやBBC等ニュース素材のトランスクリプションと時事英語の習得、時差通訳のメモ取りとデリバリーをひたすら学びました。その甲斐があってか、1998年の長野オリンピックではORTO(オリンピック放送機構)の通訳者として白馬に派遣され、金メダルを獲得した日の丸飛行隊の通訳をしました。

卒業直前のオリンピック通訳を区切りに、卒業後は私立女子中高で英語科専任教員を3年勤めましたが、成長し続ける生徒たちにアウトプットし続けるためのインプットが不足していると実感し、渡米。カリフォルニア州モントレーにあるモントレー国際大学院で2年間、通訳と翻訳のトレーニングを受けました。
最初に通訳トレーニングを受けた感想は、例えて言うなら「1本1本の脚の動きを意識し始めたムカデ」。今まで華麗にダンスを踊っていたムカデが、自然に出来ていた各脚の動きを考え始めたとたんに、急に踊れなくなってしまうという話がありますが、私も学生時代はスムーズに通訳できていた(少なくともそう思っていた)のに、改めてトレーニングしてみると不自然な通訳しかできなくなってしまったと感じたのでした。本当はそうじゃなくて、通訳していたつもりが通訳になってなかったのではないかと今は思うのですが、当時はそれでずいぶん悩みました。
 

 

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