小説、「夢工場からのメッセージ」。R 【第2章】

 
小説、「夢工場からのメッセージ」。R
 
目 次
 
 
2.公園を歩く
 
3.時を忘れて
 
4.冬の夜空
 
 
第2章   公園を歩く
 
 
2人の男が歩いている。
どうやら、見学者の希望で歩いて工場見学をしているらしい。2人の男のうち、どちらが見学者でどちらが案内者か、一眼で分かる。
それは、見学者の男の方が初めてディズニーランドに来た少年のような顔をしているからだ。
冬の終わりの、春をすぐそこに感じさせるような柔らかな朝日が、その少しばかり老いた少年の顔を照らしている。構内の広く平坦な道路は淡いグリーン色、そして、浸水性の舗装がされており、陸上競技の全天候トラックのような柔らかさが足裏に心地良い。道路の両側には美しい常緑樹が並んでいる。上空からこの道路を見ると、きっとゴルフ場のフェアウェイのように見えるだろう。
「このメイン道路の並木はホワイトオーク(白樫)ですが、他の道路にはアメリカ花水木、沙羅(夏椿)、ホーソン(山査子)、トネリコなどが植えられていて、それぞれの並木の名前で道路は呼ばれています」
ゆっくりと、白いトレーラーが2人を追い越す。
「これはインテリジェントカーです。無人運転を行っています」と案内者。
「行先さえ音声入力すれば、カメラとコンピュータ制御でハンドルを自動的に操作するのです。もちろん、交差点では一旦停止して安全を確認しますし、人や障害物があれば停止します。車線変更も追い越しもやってくれます。スピードも道路標識の速度を超えて出すことはありません」と、驚いた顔をしている見学者に親切に説明を続ける。
車両独特の騒音は全くない。それは柔らかい道路と電気自動車であるという点に理由があるのかも知れない。驚くことに、トレーラーが2人を追い越すとき、「おはようございます」と挨拶をしてくれる。返事をすべきか一瞬、悩んでしまう。もし、この白いトレーラーの屋根でミッキーマウスが踊っていれば、ここは本当にディズニーランドだ。
工場には車両の騒音どころか、耳障りな騒音は一切しない。爽やかな風の音が聞こえるだけだ。海岸線に近いところでは潮騒が聞こえるのかもしれない。道路脇には至るところに花壇が作られ、紅赤や紫紺や黄緑色などの鮮やかな花が咲き誇っている。
 
...どうした見学者、声が出ないのか。質問をしないのか。
「あの花の名前は何ですか」
...馬鹿、なんていう質問だ。落ち着け。
「私も花の名前は詳しくはないのですが、パンジー、マンサク(万作)、車輪梅というのが今頃の季節の花じゃないでしょうか」
車輪梅からは可憐なピンクの蕾が覗いている。ドウダンツツジは白い鈴蘭のような花が咲くが、まだ、新芽が出始めたばかりである。

...工場と言えば、灰色の野暮ったい鉄骨スレート造りが相場だろう。それがここではどうだ。都会のオフィスビルのようなタイル貼りの建物ばかりじゃないか。気づいているのか。気づいているなら質問したらどうだ。

...そんなこと、とうに気がついている。どんなふうに質問すればいいのか分からない。立派ですね、綺麗ですね、お金はいくら掛かりましたか、とでも聞けというのか。自分たちの工場の道路なんて、アスファルトもボコボコ、補修も部分的にしかやらないからパッチワーク模様、掘り返しては工事をするから、道路の中央が丸く膨らんだ湾曲になっている。とても恥ずかしくて私には聞けない。

...今朝、ホテルを出る時、君は俺にどう言った。今日はどんどん質問してやる。社長がこんなくだらないことまで聞いたのかと呆れるくらい聞いてやる。だから、お前もしっかり記憶しておけ。そう言ったじゃないか。花の名前よりも、もっとマシな質問をしたらどうだ。確かに、花の名前を聞いて来ましたと報告したら、社長も椅子から転げ落ちるだろうけどな。

案内者は、見学者が花に興味があると思ったのか、メイン道路から曲がって広い花壇に案内した。
「悲しい歴史ですが、戦争中、ここの前身工場も空爆を受け多くの方が犠牲になりました。この花壇は当時の工場本館の跡地です。犠牲となった方の慰霊のため跡地をこのような花壇にしているのです」
パンジーなどが咲いている花壇の中央部に、人の背丈ほどの白梅と黄梅が艶やかな花を誇らしげに咲かせている。雪の中にあってもその厳しさに耐えて花を咲かせ、暖かな春への希望、そして、平和で幸福な未来を目指すこと、そのことの大切さを見る者に優しく教えてくれる。
花壇から離れ、メイン道路に戻る。澄み渡った青空に、白い浮浪雲がいくつか流れて行く。
見学者の顔が次第に怒ったような顔になった。それは必死に質問する事柄を考えているようでもある。
向こうから、小さな男の子の手を引いて、若い女性が歩いてくる。
それは、この工場に何か用事があって歩いているのではなく、子供と散歩している母親と子供に見える。
「ここは誰でも入れるのですか」
「ええ、自動車とペット連れの方の通行は遠慮してもらっていますが、そのほかは誰でも自由に構内へ入れます。ただし、建物の中やタンクヤードの中には従業員しか入れないセキュリティ・システムになっています」
「それで警備面や安全面は大丈夫なのですか」
「これまで、このやり方で問題が起きたり、事故が起きたりしたことは一度もありません。むしろ一般の方に自由に道路を歩いてもらった方が、いろんな面で安全だと考えているのです。工場の中央部に池のある小さな公園があって、よく子供たちが遊びに来てくれます。その池には後で寄ってみましょう。私も大好きな場所で、毎朝、散歩をしています」
見学者の顔は信じられないという顔になった。
普通、医薬品工場では、否、ほとんどの製造工場では、安全・防災面や衛生面や企業機密といったことから、外部の人間に対しては厳しく入場制限をする。特に、医薬品工場では、危険な化学物質を多く使用・保管すること、感染症などの衛生環境に気を配る必要があることからさらに厳しく、外部の人間の入場に対して神経質になる。何らかの工事で外部の施工業者の人間が入場するときでも、そのトイレや食堂や休憩室の使用さえ工場従業員とは完全に区別される。
...君はどう思う。
...少しばかり私たちの考え方は古臭いのかねぇ。
...世間一般の人に工場の中を自由に出入りしてもらって何のメリットがあるのだろう。

...外部の人間にすぐ側から見られていたら、いい加減なことは出来ない、という考え方なのかなぁ。俺にもよく分からない。なにせ、そんなこと、これまで全く考えたことがなかったからね。

...君はテロ対策とか言って、君の工場では建物の周辺を高いネットですっぽり覆ったよね。そのときは俺も確かにそうだと納得したけれど、君とこの工場では真逆の方向へ進んで来たように思える。

...何が何だか分からなくなって来た。社長が言うように、謙虚に受け止めるしかないね。でも、正直に言って、同じ工場の中に、口煩くてお節介な妻がいて、そこら辺りを毎日、散歩しているかと思うと、気が小さい私はとても仕事に集中できないと思う。

吐く息の白さは、暖かい陽の光のお陰で、すっかり見えなくなった。そのせいか、見学者は憚ることなく大きく深呼吸をした。
...君はもう疲れたのか。それとも、奥さんのことを忘れようとしたのか。
...疲れたのではなくて、緊張している。こんなに緊張したのは結婚式以来だね。
 

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