エッセイ:エイジング話【第51回】

ゼロ水と自動

 超純水中にも存在し得る極々微量なイオンを測定する状況、これを上皿はかりで秤量する時に例えるなら髪の毛1本を測る感覚でしょうか、ほこりが付着しない上皿へ異物が一切付着しないピンセットで検体を注意深く載せるに匹敵する操作、ここでクリアしなければならない気の遠くなるような一連の試行錯誤が続きます。
 引き継がれた慣習となっている方法に対し、分析精度に影響する要因はないか?ここ一点を実直に追及することから始め、時間的な妥協は許さないことにしました。

 ベテランよりも門外漢や新人の意見を取り入れつつ、単純なルールとして「決めつけない」こととし、「ああでもないこうでもない」を繰り返しました。これはブレーンストーミングという昭和時代に流行った手法を水平展開したのです。
 ある意味キャリアを持った人は「こうしろ」と上から指示をし勝ちですが、たまたま精通した人が少なかったタイミングだったことも幸いでした。
 この取り組みは、効率的な視点とは対極にある進み具合だったのですが、一から疑いを持ち納得が行くまで精査しないと、結局は振り出しに戻ってしまう出戻り作業が続きます。
 ここは超純水の仕事で大切な視点であり必要不可欠な姿勢です。なぜなら、妥協なく一切不純物がないゼロ水イメージを追及し、それを自ら真摯に評価できる力量を持って初めて、超純水装置を無事に立ち上げることができるからです。
ゼロ水イメージ:不純物が一切含まれない水を作ろうという意欲
 ここはwater for pharmaceutical usesへも水平展開できる要素だと気付き実践しました。その心は、体内に注入される水の評価がたかがチップを洗浄する水よりも曖昧な評価で良い筈はないという高い志を持ったからです。

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