医療機器の生物学的安全性 よもやま話【第36回】

遺伝毒性試験の選択

 遺伝毒性については、前回概要をご説明したとおり、遺伝子に対する毒性であること、影響が顕在化する病態としては、がんと生殖発生毒性の可能性があることが特徴です。
 また、がんの原因の多くは、食習慣や喫煙、そして、アスベストばく露などの職業に起因するもの、そして、ヒトパピローマウイルスによる子宮頸がんやピロリ菌による胃がんというような感染によるものがほとんどであり、農薬や食品添加物など感覚的に危なそうな化学物質によるものは前述のものと比較すると僅少という学説も紹介しました。
 ただ、農薬や食品添加物をはじめ、環境化学物質から家庭用品に至るまで、数多くの化学物質に囲まれたり、利用したりすることが我々の日常です。そのような化学物質に、もしも遺伝毒性があった場合には、継続的なばく露となることが多いことから、がんなどのリスク要因となってしまうため、なるべくそのような化学物質のばく露を避けたいということで、遺伝毒性の有無を検索することが広く行われてきました。
 これは、医療機器でも同様で、基本的考え方やISO 10993において、短中期~長期の継続的なばく露となる医療機器については、遺伝毒性の評価を行うこととなっております。なお、これには例外があり、循環血液中に留置されて体内と体外を連結する機器や血管内にインプラントされる機器については、一時接触でも評価が必要である一方で、健常な皮膚に接触する医療機器では、遺伝毒性の評価は不要となっています。

 遺伝毒性が、がん原性や生殖発生毒性の原因になる可能性があるため、それらを評価するための試験を実施すればよいではないかということが疑問としてあがってくるかもしれません。答えとしては、もちろんイエスで、実施する資金と時間があればそれに越したことはないという回答になります。ただ、資金は億単位の膨大なものが必要ですし、時間も2年程度は必要になってきます(一般的ながん原性を実施する場合)。これをクリアするのはたいへんだということで、遺伝毒性試験が開発された訳で、さまざまなエンドポイントを評価するためのin vitroの方法が多々作られていますし、in vivoの方法でも比較的簡単に試験を実施することができます(といっても、それなりのコストと時間が必要ですが)。
 ただ、「発がん」や「生殖発生毒性」をエンドポイントとした遺伝毒性試験はできないため、「遺伝子突然変異」とか「染色体異常」などの、発がんなどに至るまでのプロセスの一部を評価することとなります。そうなると、ひとつの方法だけでは十分とは言えないということになり、複数の試験を組み合わせ、複数のエンドポイントを評価して精度を上げるという対応にならざるを得ません。
 このような考え方のもと、医療機器では、前述した「遺伝子突然変異試験」と「in vitro哺乳類培養細胞を用いた試験」の両方を評価し、いずれも問題がなければ遺伝毒性のリスクは無視し得ると判断することになっています。ちなみに医薬品では、これらに加えて「in vivoの試験系を用いた試験」の3つを評価します。
 2つの試験を両方とも実施すべきというのは理解したが、それでは、結果が分かれた場合、どう判断したらよいのかということが、次の疑問としてあげられるかもしれません。答えとしては、複数のエンドポイントを評価することが基本ですので、たとえいずれか1つの試験でも陽性結果があれば、遺伝毒性ありという評価にならざるを得ないということです。厳しいですが、致し方ありません。ただ、いずれかの試験で弱い陽性結果を得たが、もう一方では陰性であるなど、はっきりした陽性とは言い難い場合もあります。このような場合は、in vivoの試験系を用いた試験を行って評価することが認められています。

 これまでいくつかの生物学的安全性試験を紹介してきましたが、それらは、すべて、毒性物質の量が増えれば毒性反応が強くなる(用量反応性)という特徴があるもので、加えて、一定の量までは毒性反応が出現しない(閾値)という特徴がありました。目に入ると痛いシャンプーも薄めれば痛くなくなるし、少量のアルコールなら二日酔いというアセトアルデヒドの毒性影響を被らずに済むというのが、用量反応性と閾値が存在することの例です。
 ところが遺伝毒性では、ちょっと考え方を変える必要があります。
 前回、遺伝子突然変異の例をDNAの塩基配列の異常としていつくか紹介しました。
その中で1つの塩基だけが異なってしまっても(1塩基置換)、コードされるアミノ酸が違ったものになることをご説明しましたが、1塩基対置換により生じる実際の病態として、生化学の教科書にも出てくる「鎌状赤血球症」という病気を例として紹介します。
 鎌状赤血球症は、赤血球の形態が鎌のような三日月型になることから名づけられた病気で、ヘモグロビンの変性が認められ、溶血性貧血や血栓を起こします。特に黒人の方に多く、アフリカでは数十%もの方に見られるそうです。そして、マラリアが発生する地域に特に多く認められることから、鎌状赤血球はマラリアが感染しにくいため自然選択として残っているのではないかと言われています。原因は、下記のようなヘモグロビンのアミノ酸配列のうちの1つのアミノ酸の相違です。

正常ヘモグロビンのアミノ酸配列(β鎖): NH2-Val-His-Leu-Thr-Pro-Glu-Glu-....
鎌状赤血球症ヘモグロビンのアミノ酸配列(β鎖): NH2-Val-His-Leu-Thr-Pro-Val-Glu-....

正常では、6番目のアミノ酸がグルタミン酸(Glu)なのですが、鎌状赤血球症ではバリン(Val)に変わっているのです。それぞれのアミノ酸をコードするDNAは、以下のとおりです。

グルタミン酸をコードするDNA配列: GAA及びGAG
バリンをコードするDNA配列: GTT, GTC, GTA及びGTG
(G; グアニン、A; アデニン、T; チミン、C; シトシン)

 実際の患者さんのDNAを調べてみると、GAG → GTGとATの置換があったようです。つまり、1塩基のみの異常で、重大な疾病が起きるということです。
 鎌状赤血球症は遺伝病の一種でがんではありませんが、1塩基が異なるだけで異常が起きるのであれば、もし、化学物質により1塩基の置換が行われてしまうと、異常が起きる可能性があることを示しています。
 実際のがんは、細胞増殖に関わる3~4の遺伝子が変異している例が多いようですので、1遺伝子のみの変異ではがんにまでは発展しないかと思いますが、少なくともきっかけになることは間違いありません。

 

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