化粧品研究者が語る界面活性剤と乳化のはなし【第3回】

「界面活性剤」は人類を救う?

 「僕、「たんぱく質」が好きすぎるんです!」

 先日、ある学生さんと面談をしていたら、そんなコメントが。研究室に入ってから、たんぱく質の研究にのめりこみ過ぎて、いつの間にか「好きすぎ」状態になってしまったそうです。・・・これ、化学の研究者にはよくある話で、最初は何か目的があって特定の物質を作ったり、調べたりしてたのが、いつしかその対象自体が大好きになってしまうのです。私の周りにはセラミックスだの、ゲルだの、結晶だのの構造式を見てその「美しさ」にほれぼれしている、(世間の常識で見ると)ちょっと変わったひとたちで満ちあふれています。

 化粧品業界には、間違いなく「界面活性剤が好きすぎる」人種がかなりの数、棲息しています。界面活性剤は、ひとつの分子の中に水となじみやすい「親水基」と油となじみやすい「親油基」が含まれているもので、水の中に油を分散してクリームを作ったり、スキンケアのための有効成分や香料を溶かし込んだり、汚れを落とすために配合される成分で、その代表的なものが「石けん」です(図)。皮膚を清潔にし、健康にし、美しくするためにいろーんな成分を配合しなければならない化粧品を開発するためには、まさになくてはならないアイテムといえますが、学会に行くと「今度はこんな形の活性剤を作ってみました」「温度を上げたら〇〇℃で白く濁ってしまって・・・」「△△を加えたら(界面活性剤が集まった)ミセルの形が長細くなりました!」みたいな、外の世界から見たら全く謎の会話が繰り広げられていて、そこに一番たくさんの聴衆が集まっていたりするのです。

 むかしむかしも、たくさんのひとたちがそんな界面活性剤の魅力には気づいていたようで、何千年も前から石けんに関する記録が残っています。バビロニア時代の発掘現場で5000年前の粘土の円筒が見つかり、ある種の石けんとその作り方が書かれたものが入っていたのをはじめ、古代のエジプト、ギリシャ、フランスで洗濯やヘアスタイリングのために使われていたことが知られています[1]。また、ローマの伝説によれば、サポーの丘の下を流れるテベレ川で洗濯をしていた女性たちが石けんを発見し、そのことが英語のsoapをはじめとする名前につながったといわれています。

 しかし、当時、石けんはあくまで特殊なアイテムで、一般の庶民が使用できるようになったのは産業革命がはじまり、18世紀の終わりに石けんの原料となる牛脂とソーダ灰を作る方法が発見されて製造コストが低下した後でした。石けんの普及の効果は強烈で、ヨーロッパの都市の衛生状態が劇的に改善し、19世紀後半にはイギリスにおける乳幼児死亡率の低下につながったというのです。石けんは20世紀に人類が繁栄を謳歌する上で一役買っていたと言えるでしょう。
 
 その頃、界面活性剤の世界に革命が起きました。いわゆる合成界面活性剤の発明です。それまでは、界面活性剤と言えば石けんや植物の根、葉、茎などに広く含まれている配糖体であるサポニンなど、天然由来のものばかりで、それらの化合物は酸・アルカリなどの無機塩やカルシウム・マグネシウム等の金属イオンが多量に含まれていると、その性能が著しく低下するという弱点がありました。そこで、1834年に動植物油脂に硫酸を作用させて中和することでロート油が、1917年にはナフタリンに濃硫酸とイソプロパノールを反応させてジイソプロピルナフタリンスルホン酸塩が合成されました[2]。その後、世界中で何百~何千種類もの界面活性剤が合成され、約4000億ドルと言われる化粧料の市場を支えてきたのでした。

 そんな界面活性剤の真価が発揮されたのが、2020年に突如世界を襲った新型コロナウイルスに対する対応でした。アメリカの皮膚科学の研究者のグループは、石鹸と水で頻繁に手を洗うことを推奨するとともに、過度な手洗いから肌荒れを防止するために、皮膚刺激の低い界面活性剤を主基剤とした洗浄剤を使うこと、手洗いとともに保湿を怠らないこと、などの具体的な方策を提案しました[3]。そんな取り組みのおかげもあって、コロナに対する対応は当初よりはだいぶ安定してきたように感じられます。

 特にすごかったのが、みんなが頻繁に手洗いをするようになって、わが国では毎年恒例となっていたインフルエンザの流行がほとんど聞かれなくなったこと。実は私は何年間かハンドソープの商品開発に携わっていて、感染症の対策として手洗いがいかに大事であるかということを調べ、時には評価などもして、色んな所でお話しもしていたのですが、まさかこんなに有効だったとは・・・[4]。恥ずかしながらいわば作り手の側にいたにもかかわらず、口をあんぐりしてびっくりしてしまったのでした。
 

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