ドマさんの徒然なるままに【第31話】


第31話:幸せの黄色い指摘

序章

本話、前30話「グッジョブ!」の続きではないのだが、前話執筆の中で派生した内容に至ってしまった。リモート監査が取り沙汰される昨今であるが、バーチャルかデスクトップか、はたまたハイブリッドかと言った、その手法は何であれ、監査の目的は同じはずだし、そこで出された指摘も従来から変わる訳ではないと思う(むしろ変わってしまったら疑問を感じるが・・・)。そんなこともあり、この機会に監査(受け側&実施側)という経験の中で感じた個人的意見を述べたいと思う。

ちなみに、本話で言う“指摘”とは、GxP*1違反レベルと捉えざるを得ない、あるいは重度の品質リスクが目に見えているといった場合は論外として、クリティカル・メジャー・マイナー等のレベル*2を区別せず、また推奨事項(リコメンデーション)やオーディターによる補足コメントも含めているので、その点をご理解頂きたい。そもそも、自分で言うのも何だが、本話の内容は指摘の内容やレベルの話ではないですから。
 

第1章:誰だって指摘されたくないし、したくもないよ。

当たり前であるが、受ける側として指摘などされたくない。そのレベルに関係なくである。実施する側だって、よほど悪意に満ちた者、性悪な者でもなければ指摘など出したくない。少なくともそのはず*3。でも、現実の監査においては、その数やレベルはともかく、指摘されたり、出さざるを得なかったりする。

「じゃー、なんでそんなことするの?」
「うーん、いい質問ですね。」
「それじゃ、監査をやめましょう。」
ってな訳には行かないんですよ。

GxP要件だからとか、コンプライアンスだからとか、そんな型にはまった話じゃなく、製造・供給・流通・販売した者の責任として、製品の品質の保証は必要ですよね? 監査は、その品質保証の効果的な確認手法として必要と言えるよね。だけど指摘は嫌。でも本音の部分では“仕方なく”は在り得る。ならば、監査も指摘も認めた上で、考え方・受け止め方を変えてみません? それだけで、監査という行為・作業の見方が変わり、結果として中身の深さが変わるかもしれません。むしろ、より良いものに変えてみませんか?
 

第2章:原点に戻って誰のための品質保証かを考え、前向きに捉えては?

まず、指摘を“改善のための気づかせ”と前向きに捉えてみては? その状況や内容にも依るが、受けた側として少しは気が軽くなりません? 「気が軽くなったって、改善せざるを得ないことには変わりない。」と言われれば、その通りでもある。じゃー、指摘を受けて今まで気づかったことがわかって改善できる、改善し易くなったと思えば? えっ、「そこまで前向きな人のいい人間ではない。」ってか。でも、結果として改善が図れ、品質が安定し向上できれば、それって患者のためには良いことですよ。むしろ、そうしなきゃダメですよ。それこそが本来の監査の目的だし。

でも現実はちょっと違っているような気がしないでもない。どうしても、GxP省令等で求められているからだとか、コンプライアンスだからとかといった、法規制に基づいての運用、悪く言えば“やっているという行為”に目が向いてしまっているように思えてならない。でも原点に戻って考えてくださいな。本来の目的からズレればズレるほど、形式的な運用、もっと悪く言えば形骸化してしまうんですよ。監査と称して実行していれば、実施側としては「うちはコンプライアンス重視でちゃんとやってる。」と(少なくとも見かけ上は)言えるし、受ける側としては「うちはこれだけ監査を受けた経験を有しております。」なんて(少なくとも数の上では)自慢できるし。でも、それって勘違いの方向に進んでしまう、いや、してしまった状況ですからね。じゃー、どうする!?
 

第3章:指摘は無いほうが良いけれど、あったらダメなのか?

指摘されるということは、何か不備があるということは事実であろう。しかし、不備があってはいけないことなのか? 無いに越したことはない。しかし、指摘を受けた時点では自分が気づいていない事項だってあるはず。あるいは、その時点では問題はないのだけれど、ほおっておくと品質リスクが上がってしまう可能性という事項だってあるはず。大事なことは、早めに処置しなさいといったアドバイスの場合もあるんじゃないのか。そういった場合は、危害として表面化する前に改善が図れて対処しうる訳であり、むしろオーディターに感謝してもいいんじゃないのか? 指摘されて気分が良いことなど在り得ないが、それは完璧を望むからなんじゃないのかな。ちょっと見方を変えて「助かった。ありがとう。」と思ってみては、いかがであろうか。限界はあるであろうが、『指摘=不備=いけないこと』から『指摘=アドバイス=向上への手がかり』として気持ちを置き換える練習をしてみては? 指摘のみならず、監査それ自体に対する姿勢も変わるんじゃないだろうか。オーディターへの感謝は無理としても、“前向きな向上心”に繋がる進歩は図れるかもしれませんよ。

指摘を受けた際に、「なんで?」と思うことは悪いことじゃない。むしろ、「何が問題視されたのか?」、「俺の説明の仕方が悪かったのか?」と思うことも大事である。確かに説明不足や説明の仕方で勘違いや誤解を含めて、指摘とされることが無い訳ではない。でも、よく考えてくださいな。監査(査察でも同じ)で、「オーディターにそう思われた」あるいは「オーディターの目にはそう映った」のであれば、それは取りも直さず自身の不備でもあるのである。監査とは、そんなことも含めての総合評価なのである。相手が未熟、おバカと思うのは勝手であるが、それでは進歩はない。謙虚に反省し、次回はこうしようと前向きに捉えていくことが進歩なのである。

実施する側、オーディターとしては、お世辞でも良いから感謝されなきゃダメですよ。ある程度経験を積んだオーディターであれば、ラップアップ時の被監査者たちの顔色と返答から、真摯に受け止めているか、反発を我慢しているだけかの推測が付くはず。一切の手抜きはしない。でも、それは相手のためでもある。自社のご都合に合わせさせようとするのでなく、指摘はお互いのためであり、ひいては患者のための品質向上・安定供給のためであると理解・納得させることに努めましょう。

監査を受ける立場であっても、実施する立場であっても、その捉え方を前向きに変えるだけで、本人も驚くほどレベルがアップしていく。一朝一夕には行かないが、少しずつでも変えていければ、それでいい。それがどういう形で実を結ぶかについては、前30話「グッジョブ!」に記した。もし宜しければ、もう一度お読み頂ければ有り難い。自慢話でも他人事でもなく、わざわざアーティクルにしてまで筆者が伝えたかったことが、わかるんじゃないかと思います。
 

第4章:民間企業による監査は行政のGxP適合性調査とは違うからね。

率直に言って、監査の場では素直に指摘を受け入れているように見えたものの、その後の改善対応については、ポイントがズレていたり、真摯とも思えない対応だったりすることもある。言い過ぎかもしれないが、こんなアッカンベーしながらの指摘対応であれば、そのほうが問題だと思う。こういった表と裏のある会社は、上手な監査受けテクニックに走り易いんですけどね。また、指摘とするほどの問題は無いけれど、何となく不自然さを感じるなんてこともある。それだったら、軽い指摘はそれなりにあるけれど、伝えた指摘も含めて次回までには確実に改善してくれている会社・製造所のほうが安心できませんか? 

そもそも民間企業間での監査って、行政による“GxP適合性調査”じゃないですからね。民間企業が行政査察の真似事をしたって意味ないですよ。同じことして、同じところを突っつくの? それだったら重複するだけで、漏れや抜けはいつになったって見つからないですよ。むしろ、GxP省令等の要件やコンプライアンス云々とは異なる観点で、表面に見えていない部分、例えば、相手が何を考えているのかまでチェックしたほうが、行政では踏み込めない部分によるリスクをチェックでき、補完的な価値があるんじゃないでしょうか*4
 

第5章:自己点検って、色々な意味合いがあって大事なんじゃない!? 

話変わりますが、読者の皆さんの会社や製造所では、自己点検なさっていますか? 少なくともGxPの要件として求められているので、年1回程度はやっているものと想像する。以前に別話の中で、“数増やしの見た目の自己点検”について皮肉を込めて書いたと記憶しているが、形だけやったって意味ないですよ。要件の趣旨に基づいて、改善を目的に真剣にやってくださいね。

違う見方で言えば、自己点検って、実施する側にとっても受ける側にとっても、顧客監査の“練習*5にだってなりますからね。逆に言えば、費やした時間を無駄にしないためにも、実施する側・受ける側の両者にとって真剣勝負でやってほしいと願う。真剣であればあるほど、指摘内容の意味を議論することに繋がり、求められるGxP要件や品質リスクの本質が見えて来て、「じゃー、会社として、製造所としてどうする?」ってことに繋がるんじゃないかと思いますよ。これこそPQSで求めている継続的改善の狙いなんじゃないんでしょうか。
 

第6章:私は自己点検には非常に厳しかったことを認めます。 

今だから正直に言う。筆者がQAとして実務担当していた際の自己点検、転職ということもあって、複数の会社に亘っているが、すべての会社において非常に厳しかったことを認めます。ある会社では、「FDA査察よりキツイ!?」とまで言われた。言い訳と解釈されるかもしれないが、自己点検に対する筆者の考え方を列記すると 以下のようになる。

・普段の実態を知っているからこそ、細部まで目が届く。
・細かな点の改善の積み重ねこそが、大きな問題を未然に防ぐことに繋がる。
・顧客監査の実施と受け、行政査察の受けに対する“練習”*5にもなる(あくまで自己点検として行うのであり、GxPでいう教育訓練でもなければ、目的の異なるモックはモックとして別途に行うことが前提である)。
・スポーツと同じで「練習>本番」により、顧客監査や行政査察で適切な対応が図れる。
・同時に、普段のチェックが顧客監査や行政査察の結果にも反映する。
・裏を返せば、自己点検と称した“見せかけの形式的実施”は時間の無駄であり、社内や製造所内に暗黙のnon-complianceを増長しかねない。
 

当たり前だが、退職後の各会社での自己点検の状況を知る由もない。現在も筆者が在籍していた時と同様に、あるいはそれ以上に実施されていることを望む。
 

終章:本当に大事なことを見失うなよ!

指摘、確かに他人から「これがダメですねー。」みたいなことを言われたら、そりゃ「ムッ!」とするよねー。普通はそうですよ。その気持ちもわかります。でもね、自社・自製造所として品質の維持・向上に繋がるような指摘であれば、「自分たちが気づかなかったことを気づかせてくれた。早速改善して品質の維持・向上に努めよう!」と前向きに受けとめたい。同じ指摘であっても、そのほうが気持ち的にスッキリするし、本来のGxP向上に繋がる。捉え方・考え方ひとつをちょっと変えるだけで、次の行動が変わり、お宅の会社や製造所が良い方向に変わって行く。それは、製品の品質向上・安定供給に繋がり、患者の喜び・幸せに通じる。そういう意味で、Yellow Cardに相当する“黄色い指摘”は幸せを呼ぶんですよ。Red Cardはって? GxP違反に通じる事項や品質不良に直結するレベルの事項のことですよね。冒頭でも言ったでしょ。一発退場ですから、論外ですよ。
 

オマケの章(オーディターの方へ):偉くなったつもりか、自分が正しいと思い込むなよ!

時々、人気の上がった芸人や芸能人がTVやラジオで馬鹿なコメントをしたり、SNSで大炎上したりする。監査でも似たようなことが発生する場合がある。委託先の監査で、GxP要件を超えた、自身の感覚だけの指摘、もっと悪く言えば自身の好みに合致しないというだけでの指摘である。お世辞にもGxPレベル向上や品質リスク低減に繋がるとも思えないような内容である。こういうことがどこから起こるのか? ハッキリ言おう。お客様としての製造販売業者だから、受託業者としてはヨイショしていること、我慢して「はい」と言っていることに気づかず、自分の発言はすべてが正しいという思い込みである。それが刷り込まれているのである。気を付けましょう。

では、また。See you next time on the WEB.
 

【徒然後記】

幸せの黄色いリボン
本話のタイトル「幸せの黄色い指摘」から、読者の皆さんは、映画「幸せの黄色いハンカチ」を思い出したものと思う。しかし、筆者としては1973年の春にヒットしたドーン(Dawn featuring Tony Orlando)の「幸せの黄色いリボン(Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree)」の洒落である。映画もヒット曲のいずれも、ジャーナリストで小説家のピート・ハミルによる1971年の執筆コラム「Going Home」に基づくものであるとされているが、私にとって「幸せの黄色いリボン」には、ちょっとした思い出深いものがある。
1973年4月、ちょうど大学に入学し、田舎から都会に独り住まいしたばかり。まだ友人もおらず、授業が終わると三畳一間の下宿で何となくラジオを聞いていると毎日のようにかかっていた。当時は独り住まい用の家電など稀で、しかも高額。テレビもなければ、冷蔵庫もなく、箪笥も棚もない。そもそも狭いために置き場がない。陽当たりだけが異常に良い下宿であったが、エアコンなどあるはずもない。陽当たりが良いと言うと聞こえは良いが、道路に面した南向きの2階の三畳間であり、床から30cmくらい上の壁に相当する部分一面すべてが窓となっている構造である。夏場は部屋中に陽が指し、逃げ場がない。カーテンを開ければ、室内で日焼けしてしまう(日光浴なんてものじゃない)のである。部屋内には、ものすごく小さな押し入れ(実質的にはロッカー程度)があるものの布団など入るはずもなく、逆に言えば、布団を室内で干せるのである(要は敷きっぱなしの状態)。
安いというだけで借りたものの、さすがに2年で引っ越しましたけど。当時はまだ10代。若くなけりゃ、とっくの昔に熱中症で死んでいたかもしれません(当時は日射病と称されていたと記憶しているが、この下宿の状態は日射病で正しいように思える)。そういう意味で、「幸せの黄色いリボン」は私にとっては懐かしい思い出の曲なんです。なんのこっちゃ!?
《注》 「熱中症」は 高温多湿の環境によって引き起こされる体調不良の状態の総称で、「日射病」は熱中症の中でも直射日光が原因で生じる病気を、「熱射病」は熱中症の中でも重度の症状の病気を指す。


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*1:本話においては、GxPを「品質関係のGood PracticesであるGMP・GQP・GCTP・GDPの総称」として使用している。
 
*2:クリティカル・メジャー・マイナー等のレベル分け、筆者の知る限り、各社まちまちである。特に、クリティカルに至っては、悪く言うと“脅し”的に使われていると感じる場合もある。受託側でないとわかり難いが、委託側オーディターの中にはクリティカルを多発する者もいる。普通に考えれば、クリティカルって、GxP違反に相当するような致命的問題なはずなので、一発アウトなんじゃないかと思うんですが・・・。
 
*3:重箱の隅をつつくような、品質リスクがあるとは思えない指摘を言い出す者がいる。会社に戻り「監査報告書」を作成・提出し、上司から「指摘なしだが本当に大丈夫か?」とか「お前、ちゃんとチェックしてきたんだろうな?」とか言われるのが嫌で、何となくの指摘をして来たといった程度のものである。ちょっと失礼な言い方となるが、初心者オーディターに多いように思える。筆者の経験から感じたことを率直に記しているが、ご容赦頂ければ有り難い。
先輩面をして申し訳ないが、意味合いが曖昧な指摘よりも、相手への敬意を込めて品質の維持・向上に努めて頂くことをお願いしたほうが宜しいかと思います。
 
*4:筆者、PMDAおよび地方行政に物申すことのできるような立場ではないが、民間企業における監査について、単にGxP要件として求めるのではなく、自分たち行政の適合性調査としては踏み込めない部分の補完について言及して頂きたいと願う。企業と行政の両者による効率的かつ効果的な相乗を期待する。
 
*5:あくまで、監査(場合によっては行政査察を含む)の流れ、応答の仕方、記録提示や説明といったことについて応用できるという意味である。若手へのOJTを除けばGxPでいう教育訓練には相当しない。そのため、誤解回避も踏まえて意図的に“練習”と記している。

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