食の文化と音の文化【第7回】

第7回は「音の文化」の続きについて記載する。
 
これまでの記載内容
1.「食の文化」と「音の文化」の共通点
2. 音楽への触れ合い
3. タイ料理「タイスキ」との出会い
4. タイの思い出
5. タイの音楽
6. オールディズからビートルズ
7. いよいよアマチュアデビュー
8. The Knackの結成
9. 料理の基盤となったアイルランド生活
10. ベトナム料理の魅力

11.再生The Knack
 The Knackは1968年に解散したが、やはりMusicからは離れられないもので、以前のような活動はできないものの、活動時間を制限して一部のメンバーにより、1970年頃から再生The Knackを再開した。今回のスタイルは、女性ボーカル二人をメインにして、おしゃれなバンドとして活動した。例えば、カーペンターズや、セルジオメンデスとブラジル66といったグループの曲を取り入れた。若くて美形の女性二人を含むグループということで、何かと声のかかることも多かったように思う。

   写真1  1971年12月12日(左端が筆者)

   写真2 1971年12月12日

 不明瞭であるが、写真1、2が1971年の演奏である。今にして思えば、なかなかのおしゃれなグループであった。写真3、4は1972年のものである。

   写真3  1972年4月29日(右端が筆者)

写真4  1972年4月29日(右が筆者)

 上記のステージはいずれも小曽根実氏の音楽教室の発表会で、賛助出演したものである。ここで、小曽根氏についてふれる。小曽根実氏は、日本のハモンドオルガン奏者の第一人者であった。当時は読売テレビの11pmにレギュラー出演されていて、オープニングなどの演奏をされていた。私も、師として崇めた時期がある。さて、その小曽根実氏の長男が小曽根真さんである。世界的にも有名なジャズピアニストとして活躍している。小曽根真さんが小学校の3~4年生ぐらいの頃、彼の私生活を覗いた時期があった。彼は、小学校から帰宅すると、クラシックのピアノの練習をし、その後、ジャズピアノやジャズオルガンの練習をしていた。やはり、世界のトップレベルになるには、才能と幼少のころからの努力の両方が必要である。オリンピックに出場するようなスポーツ選手も同様である。これは私の推測にしかすぎないが、幼少の時期の練習は辛いものがあるだろうが、成功した人達はそのジャンルを根本的に好きであったのではないかと思う。
 

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