異文化の底流にあるものは?

「異文化」(いぶんか)=「ある人が所属する文化と異にする文化」ということですが、長いこと、異文化を持つ国々との仕事で感じたことを簡単に綴ってみたいと思います。
 
1.フィンランド編
 森と湖の国、フィンランドも年前にはまだ北欧の地味な国でした。当時の産業といえば木材産業で、今のハイテクイメージは全くありませんでした。しかしヘルスケアの世界では、今のフィンランドの隆盛の萌芽はありました。彼らのデザイン性はフィンピペットに代表されるデバイスに活かされています。
 彼らとは一年ほどを感染症やガン関係の研究分野で関係することになったのですが、一年を通じて彼らを見ると面白いことが分かってきました。
 彼の地で最も低緯度(北緯度)のヘルシンキですら、夏は白夜、冬は一日中夕方から夜のような感じです。夏は涼しく、しかし冬はそれほど寒くはありません。札幌程度の寒さです。
 彼らは常に北欧の大国である隣国のスウェーデンを意識して生きているのですが、当時はまだスウェーデンとの軋轢がそこここに見受けられました。と同時に、いかにスウェーデンを凌駕できるかという視点が、特に研究分野では色濃く出ていたように感じます。裏を返すとビジネス分野ではスウェーデンには叶わないという動物的な本能が働いていたのかもしれません。
 そんな国に過ごす彼らと最初に話をしてみて感じたことは、「世界の潮流に極めて鈍感だ」ということです。最近はどうか分かりませんが、世界のトレンドにはあまり興味がなかったですね。常に彼らの心にあるものは「自分たちのオリジナリティー」です。
 そして、これは土地の特性からして当たり前なのでしょうが、夏場はハイで、長い冬の間は極めて大人しくなり、日本人の感覚から言えば「ちょっと鬱っぽく」なります。冬場にはストイックなほどよく勉強するように感じました。彼らに言わせると厳冬期は「創作活動の時期」だそうです。
 ユニークなデザイン力を武器に世界に乗り出していったフィンランド人ですが、当時はちょうど英語教育を低年齢化した時です。日本で小学校年生あたりからかなり徹底的な語学教育を施し始めた頃ですが、この制度を入れるにあたって国民から相当な反対があったようです。まるで今の日本のような感じです。
 当時のフィンランドの大人は皆英語が悲劇的な程に下手で、たぶん日本人よりも酷いレベルだったと記憶しています。何しろフィンランド語は、ゲルマン語ともラテン語とも違う孤立した言語で、近い言葉は人種的に共通なハンガリー語くらいです(フィンランド人はフィン族、ハンガリー人はフン族で、どちらもアジアの血を引く民族で蒙古斑が出ます)。日本人と同じくらい英語を使うことが不利な集団です。面白いことにフィンランド語は固有名詞も語尾変化します。外来語は「i」で終わる規則があります。この規則が英語に持ち込まれるとこちら聞き手は大いに混乱をします。また、PとBの区別をよく混同するようで、programがbrogramと発音された時には頭が真っ白になります。例えば、英語のBankがPankkiになりますが、言葉の規則を覚えてしまうと意外と楽です。
 しかし、当時の教育方針の大転換が功を奏して、今では世界中どこでも暮らしていけるほどの語学力を武器にたくましく生きています。当時から想像力を育む教育の素地は十分にあったようですが、これに語学という武器が備わったわけです。
 ここで思うことですが、彼らのユニークさの源泉はどこにあるかと考えますと、流行を追わずストイックに自分たちを見つめる姿勢ではないかと思います。やがて隣国スウェーデンに並ぶほどの経済的な成功を収めるであろう、もう一つの原動力は、自分たちのユニークな存在を自分たちの言葉で語ることが出来るようになった教育だろうと思います。よく日本企業が海外で通訳を介したビジネスをしますが、私に言わせると、その時点でビジネスは負けています。どんなに言葉が下手でもニュアンスと自分の思いを自分の口から語らなければ、人が相手の本当のビジネスなど出来るはずはないからです。
 教育立国としても名高いフィンランドですが、彼らが当時から言っていたことは「教育こそ最大の安全保障」だということです。この言葉は今の日本には重い言葉だと思います。

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