臨床現場の再生医療【第3回】

再生医療関連法の整備とともに謳われた「再生医療の実用化」。その中で、実際多くの企業体の参入がなされつつある再生医療業界であるが、実際にこの技術を「医療」として提供する側である臨床現場の考え方・捉え方は、けして情報が多くない。本稿では、現在の医療機関・臨床現場における「再生医療に対する考え方」を軸として、本邦の再生医療(等)の位置づけをゆるっと見渡している。今回が最後となる。
前回は、再生医療という同じカテゴリの中にある「治療」と「研究」、混じりにくいふたつの立場を整理した。具体的に言えば、「今そこにある細胞治療の技術を、目の前の患者の治療に用いたい臨床フィールドの医療関係者」と「既存の治療では治せない患者に届けようと、新しい再生医療の実用化を目指す研究フィールドの研究者」だ。このふたつの再生医療は立ち位置が大きく異なっており、再生医療を語ろうとしてさえ、同じ理解を共有することが難しい。
では、そのふたつの再生医療をつなぐものはなにか――という疑問が前回の最後であったのだが、これには「患者」という答えが導かれるだろう。医薬は、患者に対して提供されるものである。治療においても研究においても、それが製品化したとしてもしなくても、医療である限り、「受益者」は患者でしかありえない。

▽再生医療を語るときの患者の立ち位置
そもそも、再生医療の実用化を促進する枠組みとして最初に定められたのは「再生医療を国民が迅速かつ安全に受けられるようにするための施策の総合的な推進に関する法律」である。主語は、受益者たる国民(患者)である。目的は、再生医療の研究開発から実用化までの施策の総合的な推進を図ることである。再生医療は「患者」を通すことによって、研究も治療も製品化も、同じ舞台にあがることができる法設計なのだ。
再生医療分野に限らず、概して「患者」は医療の提供側に比して専門的な部分の知識が及ばないことから弱い立場になりやすく、それでいてこの世の誰もが平等に立たされる可能性のある立場であることも手伝い(医療従事者であれ、いつでも「患者」になる可能性はある)、これまでも様々な医療倫理的な議論の主軸となってきた存在だ。知る権利、同意と説明、本人の意思の尊重、安楽死、研究への参加、情報の開示と匿名性など過去の多くの議論は、医師のものでも研究者のものでもなく患者のものであり、患者を守るためにあったと言える。昨今では、患者の立場を守るべく様々な制度や法整備がなされ、その議論は研究者や医師たちの間でも広く認知されていると言っていい状況である。
だが、患者を介しつながるべきとした「治療」と「研究」であるから、患者に対しては同じ見方ができるかというとこれは早計で、マクロ経済学とミクロ経済学が「国民」に対して同じ見方をするかと考えればまったく異なるのに似ている。
当然のことながら、自らの命はひとつきりで機会も限られる患者当人(とその家族)と、研究者や医師とが同じ目線に立つことは極めて難しい。その患者と真正面から、たった今、現実に向き合う必要のあるのが医師であり臨床現場の人間なのである。およそ人には「不特定あるいは匿名の個人よりも、特定の個人を助けようとする強い社会的傾向」(救助原則)があるとされ、目の前の患者の救助は、しばしば名を知らぬ大勢の救助に優先してしまう。これは医療倫理においてもまま用いられる論理で、医療従事者がどれほど高邁であろうと、人間である以上どうすることもできない。カルテの上だけならば公平性を保つことはできても、向き合った患者に対しては優先せざるを得ないのだ。
患者という繋がりを持つことで、治療と研究は確かに遠く離れたフィールドではなくなることができる。だが、医療従事者にはその「個人の倫理」とも呼べる動機において、やはり研究者と異なる位置に立っているのだという点は、誤解がないようにされたい。



 

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