【第6回】米国横断ドライブ旅行記2024

2025/02/07 その他

サウスダコタから五大湖へ(10-12日目)。

はじめに
 新年明けましておめでとうございます。年始は1/9から5泊6日で、過去駐在(2017-2019)経験のあるタイ バンコクへ2年ぶりに行ってきました。当時お世話になったOLIC社のNew Year Partyに同社OBとして特別参加させてもらい、久しぶりの本場タイ料理と短パンでのゴルフを満喫してきました。さて、今回は、サウスダコタ州のラピッドシティ(Rapid City)からさらに東へ向かい、スーフォールズ(Sioux Falls)、アイオワ州のエイムズ(Ames)、イリノイ州のシカゴ(Chicago)へと約1,600kmの旅が続きます。

1.サウスダコタ州Rapid Cityから東へ
 Bad Lands国立公園を満喫した6/6(木)の夜、いつものように赤ワイン片手に、翌日の宿泊をどこにしようかとAAAの地図を眺めながら、街中の公園内に滝が流れるスーフォールズ(Sioux Falls)に宿泊しようと考え、ネット検索でモーテルを探しました。週末だったせいでしょうか、市内には適当なコストで泊まれるところがみつからなかったので、次善策として西郊外のMitchellで追加検索し、それでもみつからなかったのでさらに南に降りた片田舎のParkstonになってしまいました。Rapid City、Sioux Falls、Mitchell、Parkstonの位置関係を図1に示します。総走行距離500kmで、この旅の1日平均距離程度だったので問題ありませんでしたが、行ったり来たりで距離的には少し損をすることになります。第4回で宿泊したエルコに続いて、またまた無名の片田舎での宿泊となりましたが、1週間を超えた滞在になるこの時点では、それも楽しいと思えるようになっていました。また、ただ運転するだけでは味気がないので、途中、ルート90沿いにある「1880 Town」という1880年から1920年のサウスダコタ州の町を再現した観光スポットに寄り道することにしました。

 6/7(金)の朝、Rapid Cityで2泊したモーテルSuper 8の起床は6時半、8時半には出立しました。最初は、前日のBad Lands国立公園への道と全く同じRoute 90を東に向かう経路です。出発後、約30分を経過した時点で、思いがけない事態になってしまいました。軽快に100-110km/hr.程度で走っていたのですが、なにやら青と赤のランプを点滅させたパトカーらしき車がピタッと私の車の背後についたのです。あれっ?とはおもいましたが、制限速度は十分守っているし、安全運転中と自信もあったので関係ないだろうと無視していたのですが、そのパトカーはずっと後ろに着いたままで、遂には左横側に並ばれたので、スピードを落とし、仕方なく右側の縁石に停車しました。すると、パトカーから若い男の警官1人が降りてきて、私の車に近づき言うのです。「何故、すぐに止まらなかったのですか。あなたの車は違反を犯しました」。私の方はといえば、制限速度は守っていると自信があったので、まさに「ええっ??何の違反でしょうか?」と返しました。最初、彼の言っていることが理解できなかったのですが、違う説明をしてくれました。あなたは2つの違反を犯しました。1つ目は、停止命令を出しているのにすぐに止まらなかったこと、もうひとつは、前方車との車間距離不保持だというのです。日本ではそのような理由で捕まることはまずないですが、彼いわく、これはサウスダコタ州の規則です。前の車とは3秒以上の車間距離をあける必要がある(いわゆる3秒ルール)とのことでした。どうやって3秒を測定したのか気になりましたが、逆らうのは得策ではないと諦め、言われるままにパスポートと国際免許証を彼に差出しましたが、ここで言い訳をしました。“私は日本から来た旅行者で、サウスダコタ州のそのような規則は知りようがない、また停止命令にも気づかなかった”と。彼はしばらく難しい顔をしていましたが、最後は、面倒くさくなったのでしょうか、今後注意するようにとのみ言い残し、反則切符を切られる事態を免れました。その夜に、サンフランシスコの友人K氏にその顛末につき電話で聞いたところ、彼女はそのようなルールは今まで聞いたことがないとのことでしたので、おそらくサウスダコタ州独自のローカルルールであると今でもおもっています。

 こうして、朝一番、辛うじて交通反則切符を切られるのを免れてから、さらに小一時間走り、1880 Townに到着したのは10時過ぎでした。この日も少し曇り空で、風が強く肌寒い天候でした。受付で支払いを済ませ、土産物売り物をふと見ると、世界地図が飾ってあり、ここを訪問した人の出身国に針を刺すようになっていました。日本のところには2本のみ(東北、四国)でしたが、3本目を私が大阪近辺に刺しましたが、やはり日本人は来ない土地だろうとよく理解できました。内部は西部時代の町並みが同スケールで再現されていました(写真1)。またケビンコスナー主演の映画“Dance With Wolves”で使われた馬車や小道具などが飾られており、映画の内容を思いだしながら1時間ほど、楽しみました。

 それからさらに東への運転を続けましたが、この間、また1時間時計が前へ進むことがわかりました。サウスダコタ州では、州内の西Mountain側から中央のCentral側への移動でも時差が発生することをこの旅で初めて知りました。おかげで時間がなくなったこともあり、当日の目的地であるParkstonのモーテルには15:30に到着となりました。街はやたら静か、モーテルはまるで倉庫のようなつくりで、広い敷地に駐車場を囲むように20以上の部屋がありましたが、到着時は1台のみ、翌朝なっても5台程度駐車しているのみでした。人の気配もほとんどない片田舎の町で、グーグルでレストラン検索しても3か所しかヒットせず、いずれも18:30閉店と気づいたのは、17時過ぎでした。スーツケースを開放する時間もなく、ヒットした小さなレストランに駆け込みました。閉店前ということもあり、売り切れが多かったのですが、大きな唐揚げチキン4ピースとチリスープ、ポテトサラダ、コールスローをゲットし、Take Outでモーテルに持ち帰りました。車に積載済みの缶Beerとともにいただきましたが、お腹がすいていたこともあり、十分美味しかったです。この日で米国に来て10日経ちましたが、ここまでの総走行距離は4,000kmになっていました。

写真1 Rapid CityからSioux Falls, Parkstonの位置関係と1880 Townの情景
上:Rapid CityからSioux Fallsへの経路
中:1880 Town (真中は映画Dance with Wolvesの撮影で使われたテント)
下:Parkstonの小さなレストランとTake Outした食事 

 

 

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執筆者について

笠井 隆行

経歴

個人コンサルタント
1985年に塩野義製薬(株)入社 医薬品物性研究、分析法設定、国内外申請資料(CMCパート)作成、原薬製造プロセス研究に従事、
1997年から2年間の米国Schering-Plough社でのGlobal GMP, CMC開発の海外研修後、CMC Office長、治験薬製造室長を兼務
2006年に武州製薬(株)代表取締役社長就任、2012年に日本CMO協会会長(4年間)
2016年に富士製薬工業(株)副社長 生産統括本部長、富山工場長を歴任、
2017年からタイOLIC社 Managing Directorを兼務
2022年にシオノギファーマ(株) 信頼性保証本部長、第一生産本部長を歴任
2024年3月:シオノギファーマ(株)退職

出身地 大阪

※このプロフィールは掲載記事執筆時点での内容となります

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