医薬生産経営論【第4回】

 縄文の時代から日本は海洋交易国であった。
 この時代に、丸太のような木船を操り波高い日本海を渡って交易していたことは大変な驚きであるし、主食である椎の実は針葉樹の森から採ってくるだけではなく、集落の近くの耕作地に植林栽培し安定した収穫を確保していた。ひとつの集落とその民が飢えることなく生きていくためには、そうした勇敢さとともに、生産するための技術と勤労が必要だったのである。
 だが、椎の実や魚介類の生産力だけでは集落の規模には自ずと限界がある。
 弥生時代に入り、水稲(赤米)という技術や、そのための河川に近い平野地での耕地造成や灌漑などの技術や、耕作や狩猟のための青銅から鋼鉄に至る冶金技術などが、さらなる生産力を与えてくれ、集落は大規模化し民は豊かになり増加し、集落間の交易市場が生まれ、やがて交易市場地を中心にした集落群から、国家という「かたち・こころ」が育ったのである。
 国家のリーダーが為すべきは民を豊かにすることであり、その生命と安全と財産を、神への祈りを捧げながら、野盗や敵対する国家や、災害や病気から守ることであった。
 国家の起源も責任も、企業の起源も責任も、まったく同じなのである。
 
 今日、日本の国内工場は終焉の時を迎えようとしている、と物知り顔で言う人たちがいる。
 工場の立地は、世界中の国から、賃金の安い国、税金の安い国を選ぶべきだ、なぜ日本の工場を閉鎖しないのだ。と、尤もらしく語る経営者は外国人だけでなく日本人にも数多くいる。
 明治時代からの「殖産富国強兵」「加工貿易立国主義」、さらに戦後の「傾斜生産方式」など、時代の政府や産業界は必死になって国内産業の勃興と発展と繁栄のために、また、国民や従業員を豊かで幸福にするために何をなすべきかを研究し実行した。過酷で人間的ではない労働条件が課せられた悲惨な時期はあったが、明治時代は海外からの資本・先進技術の取り入れと勤勉な労働者とその低賃金が、戦後の高度経済成長期は海外からの経営技術の導入とモーレツ社員の働きが、日本の伝統的な加工貿易立国主義による成長と繁栄を強く支えた。
 そして今日、「多重苦」の事業環境の中にあって、日本の製造業の経営者たちは海外に製造拠点を移すと言い、それがグローバル経営だと、訳の分からない言い訳をするばかりである。
 
 そのような日本の製造業の経営者に対し、
 「あなたの最大の責務は、従業員の雇用を守り、社会に新たな雇用を創出し、社会をより豊かにすることである」と言いたくなる。縄文や弥生時代のリーダーたちとは使命感が遥かに劣っている。
 さらに、言わせてもらえるなら、
 「あなたの夢は何だったのですか、あなたが目指していたものは何だったのですか」と言いたい。
 
 現在そして将来、日本の製造業がインドや中国などの低賃金・低コスト構造の新興国に対抗し生き残るためには、あるべき成果状態としての目指すべきVisionを明確にし、そのためのIdentityがある(自社の事業特性に応じたユニークな)戦略を確立することである。

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