ドマさんの徒然なるままに【第51話】因幡の赤うさぎ


第51話:因幡の赤うさぎ

読んでから、「GMDPの話じゃなく無駄な時間を要した」とお叱りを受けそうなので、あらかじめ言っておきます。本話、GMDPの話ではなく、読者の皆さんのお役に立つような内容ではありません。場合によっては、読むだけ時間の無駄と思う方もおられるかもしれません。それでもいいので、読んでみたいという方だけお読みください。

 

その少年、ここでは少年Sとしておこう。少年Sは、昭和30年に某田舎の薬局の4姉弟の末っ子として産声をあげた。薬局と言っても、医薬分業になっていない一昔前の時代なので、現在で言う調剤薬局ではなく、OTC医薬品中心の小売店としての開業薬局、いわゆる“薬屋”である。当時の薬局はOTC医薬品と言っても、錠剤については「大容量缶包装からの数の計り売り」、液剤については「500mL程度のボトルから小瓶への量り売り」が健在していた。そういう意味では、“調剤”を日常的にやっていた時代である。少年Sも、子供心に、薬局(本来は店全体ではなく調剤エリアを指す言葉である)という調剤施設の存在と、そこでの作業を知っていた。

さて、少年Sが4人姉弟の末っ子として生まれたことは冒頭で述べたが、少年S自体は戸籍上次男である。長兄は第一子として生まれたが、生まれて間もなく死んでしまったらしい。田舎の、しかも昭和20年代初頭のことである。戦後の食糧難ということもあり、栄養失調や感染症などによる死亡なども当たり前の時代であった。そのような社会状況も関係してのことであったのであろう。

少年Sの父は、東京下町、本所(現在の墨田区両国付近)の薬問屋の長男として生まれ、小学生のときに関東大震災を味わい、やっと復興したかと思いきや、昭和20年3月10日の東京大空襲に遭い、妻・子供・弟・妹の4名を亡くし、祖父・祖母を含めた家族一同で地方に疎開した。そのため、少年Sの母は疎開先での後妻であった。少年の生まれた昭和30年と言えば、跡継ぎは男子という感覚であり、幼くして死んでしまった長男の後、女の子3人が続き、やっと“跡継ぎ”が生まれたという感覚だったのであろう。両親からは異常なほど可愛がられた。特に、母は「やっとの思いで跡継ぎを産んだから、今度は大事に育てるんだ」という気持ちだったのだろう。姉弟で差をつけないという意図とは裏腹に、どうしても姉3人とは異なる愛情を注いでしまいがちだったものと想像する。そういったこともあり、冷静な状態の場合には溺愛している姿勢を見せまいとしてか、跡継ぎ育成を兼ねて厳しく育てたようである。

ただ、姉弟となるとそうは行かない。とかく子供というものは、親の愛情の差を感じ取ってしまうものである。姉3人からは嫉妬される状況にあるのは明白である。姉弟喧嘩をしても、常に3:1の図式である。幼少期と言えば、同年齢であっても女の子のほうが男の子よりも成長が早い上に、3人の姉とは7歳・5歳・3歳の歳が離れている。しかも数で3:1である。少年S自身がどう思っていたかは計りかねるが、姉3人、特に直ぐ上の三女は、親の見ていない所で、一番チビの少年をからかう、或いはいじめることになる。そういう状況であったこともあり、少年Sは一人で遊んだり、絵本を読んだりすることが多くなった。

少年Sは、絵本が大好きであった。一人で、好きな時に、好きなように絵本の世界に入れるからである。お気に入りは、「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」であった。ご存じの方も多いであろう。日本神話(古事記)に出てくるうさぎのお話である。絵本はその抜粋版に相当するが、「稻羽之素菟(いなばのしろうさぎ)が淤岐島(おきのしま)から稻羽(いなば)に渡ろうとして、和邇(ワニ)を騙し、並べてその背を渡ったが、和邇の怒りをくい、和爾に毛皮を剥ぎ取られて泣いていたところを大穴牟遲神(大国主神)に助けられる」という内容である。

その「因幡の白兎」の絵本、硬い厚紙で出来た10ページあるかないかの幼児用の絵本である。終りから数えて3ページ目あたりには、白うさぎがワニに虐められて傷だらけの絵が描かれていた。少年Sは、そのページのうさぎさんが可哀想でたまらなかった。少年Sはふと思った。痛そうで可哀想だから、僕が治してあげよう。

傷があった場合にはどの薬がいいか、少年Sは知っていた。そうだ、ヨーチン*1はしみるから、赤チン*2を塗ってあげよう。そうすれば治る。子供心に、しみない赤チンを選んでいた。少年Sは、経験的にどっちがしみないかを知っていた。また、赤チンの置き場所は、薬局内のどの薬瓶か知っていた。塗るには、綿棒に脱脂綿を巻き付けて、赤チンの瓶に浸して塗ることも知っていた*3

そこで、薬局に置いてあった赤チンを、見様見真似で脱脂綿を綿棒に巻き付け、絵本の白うさぎに塗ったのである。しかも、1回ということでなく、読むたびに塗りたぐっていた。あるとき、母に見つかった。当然のことながら、思いっきり叱られ、ひっぱたかれた。絵本は真っ赤っかといった状態となっていた。絵本としては台無しである。
 「お前は大事な絵本になんてことするの!」
 「だって、うさぎさんが痛いよー、痛いよーって可哀想だから、治してあげたかったの。」
母は、「もう痛くないよ。治ったから大丈夫だよ。」とだけ言って、以降何も言わなかった。

当時は、まだ物資が不足している。幼児用の絵本と言えども高価である。ご存じのように、次のページでは大国主命が現れ、ガマの穂で治して貰えるのである。そして、元気になったうさぎさんが感謝してお別れするハッピーエンドの場面で終わるのである。でも少年は、絵本の中のうさぎさんの泣いている姿が可哀想で、少しでも治してあげたかったのである。

その後、少年Sがどのように成長したかは知らない。勉強は学校でも有名なくらいに出来たようで、浪人覚悟で頑張れば国公立の医学部に合格しうるレベルの学力は有していたらしい。風の噂によれば、少年Sはヒトではなく、動物を治してあげたいということで獣医になりたかったらしい。ただ、当時は現在のようなペットブームでもなく、獣医と言えば、牛や豚といった家畜相手で、汚く・金にならず生計が立てられないということで、両親から猛反対され、家業を継ぐかどうかは別として、取りあえず薬剤師の資格を取れと言われたと聞いている。結果として、某大学の薬学部に進学し、薬剤師の資格も取ったらしい。が、「薬を扱うならば、売るのではなく造りたい」と言って、家業の薬屋は姉に渡して継がなかったと聞いている。

生きていたら70に近い年齢のオヤジになっていることになる。現在、何処で何をしているのだろうか。因幡の白うさぎを赤うさぎにしてしまった、子供のときの気持ちを持ったまま、何処かで薬に関連した仕事でもしているのだろうか。

筆者は、いくつになっても患者さんに思いを馳せる人間として、ひっそりと生きていることを期待する*4

 

 

では、また。See you next time on the WEB.

 

 

 

【徒然後記】

ポポとナナ
このGMP Platformでエッセイを書いていたり、過去には某誌でコラムを書いていたためか、さぞかし作文的なものが上手なんじゃないかと思われる。正直に言うが、高校時代の科目として言えば、現代国語が一番苦手だった。当時の国立大学の入試には、理系であっても現代国語は必須。そのため、現代国語があまり難しくない大学を選択し、さらに社会学科については漢字が不得意なため、理系には覚えるボリュームの関係で不利とされる世界史(日本史は人名などの全てが漢字だが、カタカナで済む)で受験したくらいだ。そんな“日本語”が不得意な筆者であるが、過去に一度だけ褒められたことがある。
小学1年生か2年生だったような気がする。国語の授業で自由作文の時間があった。作文と言っても低学年なので詩でも良いとされたんじゃないかと思う(本人も詩との区別が分からなかった)。
こんな内容だったと思う(元々、カタカナ以外は全てひらがなですが、読み易いように漢字に直しています)。
『うちには文鳥の番い(つがい)がいる。名前はポポとナナ。ポポがオスで、ナナがメス。仲がいい。可愛い。』
担任の先生が気に入ったのか、市のコンクールに出したところ、たまたま「佳作」を貰ってしまった。授賞式で表彰状を貰ったと記憶している(本人は、授賞式当日に開催されていた秋祭りに気もそぞろで授賞式はどうでもいいと思っていた。しかもその表彰状はどこかに失せてしまった)。
後にも先にも、国語的なもので他人から褒めて貰ったのは、これだけだと思う。そんな奴が、こんなエッセイを書いて小遣いを稼いでいる。人生なんて、何がどうなるのか全く分からない。

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*1:ヨーチンとは、一般的には「ヨードチンキ」と呼ばれる、赤褐色のヨウ素ヨウ化カリウムの希釈エタノール溶液で、通常、消毒に用いられる。下記の赤チンと違い、エタノールが含まれていることより、傷口がしみて痛い。

*2:赤チンとは、有機水銀二ナトリウム塩化合物のメルブロミン(merbromin)水溶液で暗赤褐色の液体であり、商品名を「マーキュロクロム液」と称する皮膚・キズの殺菌・消毒に用いられる局所殺菌剤である。ただ、製造工程で水銀が発生するという理由から2013年の国際連合環境計画(UNEP)で「水銀に関する水俣条約」が可決され、2017年に発効、2021年以降にはマーキュロクロム水溶液が規制対象となったことから、現在は日本国内では製造も販売もされていない。

*3:昭和30年代においては、赤チン・ヨーチン共に、現在のような小分けされた小瓶売りではなく、500ml程度の広口瓶から別の小瓶に小分けして販売していた。そのため、自身で使用する際は、鉄製の綿棒に脱脂綿を巻き付け、広口瓶内の薬液に浸して塗布していた。

*4:少年Sの優しい気持ちこそ、“製薬会社”、そして“Quality Culture”の精神の原点であり、Driving Forceなんじゃないかと、勝手に思っています。

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