理系人材のための美術館のススメ【第7回】

第7回「美術館のたましい」

 美術館にあまり足を運ばない方向け、「理系業界に美術館のご利用をプッシュしてみよう」という本コラム。
 突然ですがアレですね、鳥取の県立美術館さんが足を取られましたね、現代美術の罠に…。第3回第4回で述べたよう、現代美術は「わかんなきゃ即スルー!」のスキルで処せてなんぼで、お値段の話になったらとても辛いのです。なにしろ合わない人にはガラクタ同然だから、現代美術は……「箱じゃねえか!」と言われれば、「ええ箱ですよ!」としか答えようがない。税金ガー!という声とは相性が極めて悪い。「払いたいと言った人が払った値段がついてるんだろう、知らんけど」とも言えない。ぬう、お辛いところです…(このニュースをご存知ない方は、鳥取県立美術館/アンディ・ウォーホルで検索)。
 水木しげる記念館の拡充なら、同じ値段でもこんな言われようはしなかったのでは…という気もします。いいですよね、水木しげる記念館は!(※ただの推し)

 そんな流れで今回は、美術館が持っているモノの「集め方」の話をしようかと思います。美術館は、自前の収蔵品をもっていてはじめて美術館。じゃあその美術品はどうやって収集しているのか?って、ここにその美術館の魂があると言っても過言ではありません。ええ、収蔵品じゃなく、魂は収集のほうです。散歩先選定の上では、地味に効いてくるポイントです!

【お金を出さないと美術品の取得は難しい】
 日本には全国に千を越える美術館がありますが、それぞれの美術館によって収蔵品をどのように得ているかは、かなり異なります。なにしろお財布事情も、設立条件もバラバラですから。
 以前も書きましたよう、美術館には公立の他、個人のコレクションがもとになったところが多くあります。この場合の収集の話は非常に簡単で、その蒐集家が思い入れた美術品が、お財布規模の範囲で並んでいるわけですよね。蒐集家の目が肥えていれば、後世には逸品ぞろい!となる。見ているほうは、いくらで買ったのかなんてさほど考える必要はありません(松岡美術館には「創設者がオークションでむっちゃ競ったんだよ!」…という逸話が掲げられている一品が存在します、これはこれで楽しい)。
 しかして公立美術館というのは、その「いくら」と「収集ポリシー」に明白な制限がかかります。だいたいが、その地域に縁や所縁のある作家や篤志家からの寄贈などから話は始まりますが、コレクションの方針とバランス等を考えて拡充していくことが多いですし、公金を使う以上「選定は趣味です、欲しかったの」…というわけにはいきません。
 美術振興、教育による地域還元以上に、「あえてその場所で」「文化芸術を守る」という「公」の理屈は、この場合どうしても必要です。だって最初に言ったよう、美術館なんて一生に一度も行かなくたって、なんの損も発生しない場所ですよ。公園や建物や景観といった保全よりも、対象が狭いのは確実です。素養だの感性だの豊かさだのと言ったところで、美術館に行かなかった人の人生が豊かでなく感性に乏しいかと言ったら大嘘で、どんなに高尚ぶっても所詮はライフラインより下の趣味の範囲です
 いかな優れた画であれ、特定の人の趣味だというなら、公的な価値とはなんなのか。
 公立の美術館は、ある程度それを示して、興味のない納税者に納得してもらう必要があるわけです。今回の鳥取県さんはこの納得感を当該の「現代美術品」ではなかなか得にくかったわけですが、別に近代美術品でも同じ。山梨の県立美術館さんは、今やミレーのコレクションでは指折りですが、山梨に数億のミレーが必要なのかという疑問を持つ方は、購入当時ずいぶんいらしたでしょう(ちなみにミレーの「種をまく人」はあの美術館の看板ですが、貸し出し中の時、展示定位置に「いません」札が下がるのがなんともかわいい。他の子に居場所を譲らない! 私がセンターよ!みたいな(閑話休題))。

【公が守る美術価値ってなんだ】
 やたら金がかかる美術品、興味がない人だって山といる美術品。
 ただ、そんな興味がない方々だって覚えがあるはずです。〇〇の作品はほとんどが災害により行方不明になった、とか、この建造物は戦火で失われている、…とか聞いた時の「え、もったいない」っていうあの感じ。
 そこにはきっと、自分自身がさほど興味がない分野だとしても、これからその分野に興味を持つだろう子や、これから勉強するんだと思い描いている人や、いつかこの目で見たいと思っていた人たちから、永遠にそれが失われたという喪失感が混じっています。たった今興味を持って騒ぐ「見ず知らずの他人」の話だけではない。いつかの、誰かの「明日の話」です。
 時に学術的な価値、時に作品としての価値、時に金額的な価値を交え、灰になるという寂寥は、取り返しはつきません。…いやまあ、なんでもかんでも保存すりゃいいってものではないと思いますが、失った時の重さは、失わないと分からないと関東大震災被災後の竹下夢二も言っています。
 それに比べたら海外に流出してくれたほうが遥かにいい(個人的には、日本画がこの国から大量流出してボストン美術館あたりが蒐集してくれたのは大変良かったと思っています)と思うものの、「この機に買い叩かれてたまるか!」と、戦後必死に流出を止めた方々のご苦労を偲べば、やはりどこの国にも「この場所にあってしかるべき」という価値はあるのでしょう。
 古い書物であれ、歴史的な建造物であれ、遺跡であれ、美術品であれ、同じです。アカデミックな意味を含めた「保存」は、誰かが行わなければ崩れていきます。
 そして「まあ、誰かがやらないといけないのはわかっちゃいるが、しかし金がさー?」…となった時、出てくるのがやはり「公」というもの。
たとえば都内にある「熊谷守一美術館」は、作家熊谷守一本人の元住居です。現館長はご本人の娘さんで、多くの作品を保管していますが、現在は豊島区立となっています。
描いていた環境や過ごし方、当時の背景を含めた「作者」と「作品」に対し、豊島区は資金を提供しています。これが公的意義と認められているからこそ、世界中で国立他公立美術館は(国民が飢えない限りで)許されているのでしょう。

 ――いやいや、だったらこの時代に、大枚はたいて税金で他所様から買ってくるのは話が違うんじゃないのかといわれれば、まったくもってその通りですけどね! こっちが保存するからよこせ、いいやうちが、まあまあそれなら俺のとこで、うるせえひっこんでろ!…みたいな取り合いをするのは、筋論からいえばおかしな話。
 でも集客目玉があるのとないのとでは、客入りと採算が変わるのも事実。特定の画家の若いころの作品をたくさん持っていたら、やっぱり大成したときの代表作も収集して、コレクションの流れを作りたい。時に欲しいものがよそ様と被ることだってありますよ、それこそが予算のうちでの収集努力です! その入場料で画を保護する電気代も保険料も賄わなきゃいけないんだから、大事です損益分岐と長期計画!(最後はおしなべてお金)
 

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