#おうちでほっとタイム 【第11話】お・も・い・や・り

あくまで、本話はフィクションであり、登場する個人・企業は全て架空のものです。
 
【新型コロナウイルス対策の勉強会で】
本話は前話の続きで、今回の勉強会の最後となります。
(講師)新型コロナウイルス対策で大事なことは、他人事ではなく自分事として行動できるかどうかと言うことになるが、それについて何か意見やコメントはあるか?
 
天才:特にありません。私も意識して対応したいと思います。
 
秀才:私も何もありません。勉強になりました。
 
講師:あっ、君はいいわ。聞いても意味なさそうだし。
 
ばか:先生、ちょっと言いたいことがあるんだけど、いいですか。俺、GMPでは失格者かもしれないけど、他人に迷惑をかけるほど非人間的なことはしてないですよ。そして提案があるんだ。GMP教育訓練の際に「お前のいい加減な取り扱いで品質が劣化し、そのせいでお前の家族が変になったら嫌だろう」とか言われれば分かるよ。その通りだし。「常に実際にクスリを使う患者さんのことを考えろ! そのためにこうしなきゃダメなんだぞ。」って言われれば、「じゃー、俺の仕事の中では、コレコレに注意するよ。」って分かるものを、コンプライアンスだとか第何条の第何項だとかを言われるから余計に分からなくなっちゃうんだよ。だから、おバカな俺にも分かるように教えて貰えくれよ。俺だって頑張ろうっていう気はあるんだから。
 
ばか:それと、今回の新型コロナウイルス勉強会で分かったことがあるんだ。「外出要請としておうちにいること  感染防止に協力すること  それが未来のために現在できる仕事」の図式だってこと。家に居て何もするなと言っているのではなくて、家の中に居ることが皆のためになるから、家の中で自分が出来ることをしてくださいと言っているだけだろ。それなら、家にいるという仕事の中で自分なりの作業を見いだせばいいじゃん。今、新型コロナウイルスで「おもてなしにも余裕がない。それだったら、もっと大事な、「おもいやりを示せばいいじゃん。そんな風に思うんだ。
 
 
講師・天才・秀才:申し訳ありませんでした。あなたのおっしゃる通りです。
 
《筆者注》ばかさん、本質をついているように思えてなりません。本当は一番物事を理解しているんじゃないでしょうか。今回の新型コロナウイルスによるパンデミック状態の中で大事な要素が浮かび上がったように思えてなりません。筆者として感じたことは、『2.5人称の視点というノンフィクション作家・評論家の柳田邦男氏の言葉です。1人称は自分、2人称は家族など身近な人、3人称は専門家・役人等の客観的立場の人。1人称、2人称の視点だけでは感情に走って冷静な判断が下せなくなる。と言って他人事としての3人称の視点であれば、冷たく突き放す見方が優先する。1人称と2人称を考慮に入れつつ3人称的な冷静な判断を下すために、2.5人称の視点が必要になるというものです。読者の皆様がどう受け止めるかは測り兼ねますが、ばかさんの言う「おもいやり」も2.5人称の視点があれば自然と湧き出て来るように思えます。
 

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