業界雑感 2018年2月

第4回のインターフェックス大阪が2月21日~23日の3日間インテックス大阪で開催された。毎年東京で開催されているインターフェックスジャパンにできるだけ社員を派遣したいが、負担が大きいので関西でも開催を、との関西製薬メーカー要望で3年前に開催が決まったとの話を聞いていたが、さすがに毎年2回、東京と大阪での開催ということになると、出展する側にも負担が大きいのか、製剤機械や包装機械メーカーの出展もほとんどなく、年々寂しくなってきている。当然最大の顧客となる医薬品メーカーからの来場者もちらほら、といった感じだったので、そろそろ開催方法も含めて考え直す時期なのかもしれない。
例年そのインターフェックスの会場でミニセッションとして30分程度のプレゼンテーションをさせていただいている。医薬品工場のマネジメントに関して、今年は少し深掘りしてみようかと考え「KPIでみる医薬品工場の設備時間管理」と題し、生産効率を測る指標のうちで設備時間管理にかかわる指標に関して考察をしてみた。
設備費は原材料費、労務費、その他経費とともに、医薬品の製造原価を構成する要素の1つであり、製造設備を効率的に使用することは原価低減のテーマの一つであることは確かなのだが、設備費の大半を占める減価償却費が固定費、という性格上私自身はあまり重要視してこなかった。ただ、ヨーロッパの工場では設備効率を測る指標としてOEE (Overall Equipment Effectiveness : 総合設備効率)が一般的に使われていることもあり、ここで設備時間管理についてもう一度考えてみようとしてのテーマ設定だった。
プレゼンテーションの内容に関しては、今夏のインターフェックスジャパンでも紹介していく予定なので、興味のある方はそれを聞いていただくとして、今回改めて思ったのは、一口に設備稼働率といっても分子に何を定義し、分母に何をもってくるかによってその数値の持つ意味や使い方が変わってくるということ。何を管理し、どう評価したいのか、またそれをどういうスパン(サイクル)でモニターしていくのが適切なのか、医薬品特有のバリデーション等の時間をどうマネージするか、など課題は多い。加工したデータはその数値の持つ意味や定義は横におかれ、数値のみが独り歩きしていくことが往々にしてあり、数値をよく見せることも悪く見せることも(ごまかしともいうが)可能ということになっては、もはや何をマネジメントしようとしているのかわからなくなってしまう。
今国会で裁量労働制に関して厚労省が提出した比較データの中に不自然な値が多数見つかったという。裁量労働制の拡大で労働時間が減るとしたい政府の思惑は、なんでもいいから政府の揚げ足を取り安倍政権の失点に結び付けたい野党の恰好の攻撃対象となり、「働き方改革関連法案」からの裁量労働制に関する内容削除に追い込まれた。裁量労働制の本来の目的は、労働報酬を時間という「量」を基準に測るのではなく、成果という「質」で測るものであるはずだから、労働時間が短くなるか、長くなるかは働く人次第のはずである。私自身も裁量労働制のおかげで勤務時間に縛られることなく、ある程度自由に時間管理ができたのでずいぶん助かった記憶がある。データをとる時、読む時、使う時は、データの定義を明確にし、その取り方(データ収集方法)についても公正であることに気を使い、なによりも目的に応じて正しくマネジメントに使用することが大事、という一事例かと思う。
※この記事は「村田兼一コンサルティング株式会社HP」の記事を転載したものです。
例年そのインターフェックスの会場でミニセッションとして30分程度のプレゼンテーションをさせていただいている。医薬品工場のマネジメントに関して、今年は少し深掘りしてみようかと考え「KPIでみる医薬品工場の設備時間管理」と題し、生産効率を測る指標のうちで設備時間管理にかかわる指標に関して考察をしてみた。
設備費は原材料費、労務費、その他経費とともに、医薬品の製造原価を構成する要素の1つであり、製造設備を効率的に使用することは原価低減のテーマの一つであることは確かなのだが、設備費の大半を占める減価償却費が固定費、という性格上私自身はあまり重要視してこなかった。ただ、ヨーロッパの工場では設備効率を測る指標としてOEE (Overall Equipment Effectiveness : 総合設備効率)が一般的に使われていることもあり、ここで設備時間管理についてもう一度考えてみようとしてのテーマ設定だった。
プレゼンテーションの内容に関しては、今夏のインターフェックスジャパンでも紹介していく予定なので、興味のある方はそれを聞いていただくとして、今回改めて思ったのは、一口に設備稼働率といっても分子に何を定義し、分母に何をもってくるかによってその数値の持つ意味や使い方が変わってくるということ。何を管理し、どう評価したいのか、またそれをどういうスパン(サイクル)でモニターしていくのが適切なのか、医薬品特有のバリデーション等の時間をどうマネージするか、など課題は多い。加工したデータはその数値の持つ意味や定義は横におかれ、数値のみが独り歩きしていくことが往々にしてあり、数値をよく見せることも悪く見せることも(ごまかしともいうが)可能ということになっては、もはや何をマネジメントしようとしているのかわからなくなってしまう。
今国会で裁量労働制に関して厚労省が提出した比較データの中に不自然な値が多数見つかったという。裁量労働制の拡大で労働時間が減るとしたい政府の思惑は、なんでもいいから政府の揚げ足を取り安倍政権の失点に結び付けたい野党の恰好の攻撃対象となり、「働き方改革関連法案」からの裁量労働制に関する内容削除に追い込まれた。裁量労働制の本来の目的は、労働報酬を時間という「量」を基準に測るのではなく、成果という「質」で測るものであるはずだから、労働時間が短くなるか、長くなるかは働く人次第のはずである。私自身も裁量労働制のおかげで勤務時間に縛られることなく、ある程度自由に時間管理ができたのでずいぶん助かった記憶がある。データをとる時、読む時、使う時は、データの定義を明確にし、その取り方(データ収集方法)についても公正であることに気を使い、なによりも目的に応じて正しくマネジメントに使用することが大事、という一事例かと思う。
※この記事は「村田兼一コンサルティング株式会社HP」の記事を転載したものです。
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