【第11回】オランダ通訳だより
安楽死という制度
今回は、誰もが耳にしたことはあるけれど、意外に実態は知られていない、オランダの「安楽死」制度について書いてみたいと思います。
日本では、安楽死が合法化されていないため、終末期には延命治療の中止(尊厳死)や緩和ケアが選択されます。オランダでは2002年、世界に先駆けて「(患者の)要請による生命の終結、および自殺幇助審査手続法」(WTL)、いわゆる安楽死法が施行されました。
この法律は、オランダ刑法で本来は犯罪とされる行為を、一定条件を満たす場合に限り免責する枠組みを定めたもので、「注意義務基準」として、以下の6項目が規定されています。
患者の要請による生命終結を実施した、または自殺幇助を行った医師が、
- 患者の要請は自発的かつ熟慮されたものである、と確信したこと
- 患者は軽減する見込みのない耐え難い苦痛にある、と確信したこと
- 患者の病状およびその予後について、患者に説明をしたこと
- 患者とともに、その病状には妥当な代わりの治療手段が存在しないと確信に至ったこと
- 少なくとももう一名の独立した医師に相談し、その独立した医師が患者を診察して、上記4項目に規定された注意義務が遵守されているか、書面で判断を示したこと
- 生命終結または自殺幇助を、医学的に適正に実施したこと
この基準に合致した実施であったかどうかは、医師が自治体の検視官に提出した届出について、「地域安楽死審査委員会」(RTE)が審査を行います。司法当局からも独立したこの組織は、全国を5地域に分けて管轄しており、2024年時点で、全国約39名の常任委員が任命されています。各委員会は法律家、医師(各分野の臨床経験者)、倫理学者(哲学・倫理学の専門家)で構成されています。
届出が審査され、基準が遵守されていたと判断されれば、医師が刑事責任や医事懲戒処分を問われることはありません。違反と判断された場合には、検察庁や医療監督当局(IGJ)に通報されます。ちなみに、2024年は合計9,958件の実施届があり(全国死者数の約5.8%相当)、うち6件で注意義務基準違反が認められました。
また、この審査委員会は、制度の透明性を確保する重要な役割も担っており、実施件数の推移や対象疾患の内訳、性別や年齢分布、基準を満たさなかった事例の概要を、年次報告書として公開しています。なんとオランダ語版だけでなく、英語、ドイツ語、フランス語版も開示されており、国際社会への説明責任を果たしつつ、貴重な研究材料も提供しています。https://www.euthanasiecommissie.nl/documenten/2024/03/24/index
ここまで読んで、お気づきかもしれませんが、安楽死の実施には事前の許可や承認といった手続きがありません。患者の命をめぐる最終判断を行政や司法に委ねることは、患者と医師の信頼関係を侵害するため医療倫理上問題があり、また、患者をこれ以上苦しませないための制度が、患者の苦痛を長引かせる仕組みになれば、本来の趣旨を損ないます。しかし事前の手続きがないため、報告漏れや、基準遵守に関する誤判断、制度の濫用といったリスクが内在します。先の6件の違反も、すべて注意義務基準を満たせていない事例でした。
コインに表と裏があるように、患者を苦痛から解放する人道的な制度が安楽死の表だとすると、医師が自らの倫理的・宗教的価値観と向き合い、法的リスクを負うのが裏面です。現に、2002年に施行されて以来、主治医がそもそも安楽死に反対である、法的責任を恐れる、予後の判定が難しい症例であるといった事情で、患者の希望に応じられないケースが多数発生しています。
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