製造業に令和のゴールドラッシュが静かに始まっている【第3回】
第3話:砂金と金脈 ── 何を残し、何を捨てるか
「全部デジタル化」という幻想の終わり
デジタル化が進むほど、ある種の疲弊が生まれる。センサーデータ、製造記録、設備履歴、点検報告書……あらゆるものが「とりあえずデジタル化」され、サーバーに蓄積されていく。だが、その膨大なデータの海を前に、こう自問する瞬間が必ずやってくる。「これは本当に価値を生んでいるのか?」
データを集めることは、砂金採りに似ている。川底の砂をすくい上げれば、確かに金の粒が混じっている。だが、そのまま砂ごと倉庫に積み上げても、それは資産ではなく、単なる"重荷"だ。価値を生むのは、砂から金を分離し、精錬し、純度を高めるプロセスにある。
デジタル化の第一段階では、「まず集めること」が目標だった。しかし次の段階で問われるのは、「何を残し、何を捨てるか」という精錬の哲学である。
企業の知能指数は「選別眼」で決まる
データの価値は、量ではなく質で決まる。膨大なログを全て保存することが、必ずしも優れた判断とは限らない。むしろ、ノイズに埋もれた本質を見失う危険がある。
ここで必要になるのが、現場の選別眼だ。製造現場を知り尽くした人間だけが持つ、「このデータは将来必ず意味を持つ」「これは今は不要だが、いずれ必要になる」「これは永遠にノイズでしかない」という直感と経験。野球で言えば、選球眼に近い。この選別眼こそが、企業の知能指数を左右する。
石油・化学プラントでは、危険物規制や高圧ガス保安法により、運転記録や保安検査の記録保存が義務づけられている。しかし、法令遵守のために保存するデータと、事故予防や最適運転のために戦略的に精錬すべきデータは、本来別の次元にある。両者を混同すれば、組織は肥大化し、動きが鈍くなる。
選別には勇気がいる。特に、長年使い続けてきた「レガシー」を捨てる決断は、抵抗を生む。しかし、過去の成功体験に縛られたデータは、未来の足枷になる。残すべき知恵と、手放すべき慣習を見極める判断力が、今こそ求められている。
「Digital As Built™」── 信頼を刻み込む設計思想
では、その「選別」は感覚論で行うしかないのだろうか。
現場の勘や経験に頼るだけでは、組織としての再現性は生まれない。実は、何を残すべきかを判断するための、明確な設計思想が存在する。
その一つが、私たちが提唱する「Digital As Built™(デジタル竣工図)」という構想だ。
Digital As Builtとは、設備で実際に起きたことの出自を明確にし、その情報が判断に使える状態で継承されることを目指す構想である。
建設業界では、設計図(As Planned)と竣工図(As Built)が厳密に区別される。計画段階の図面がいかに美しくとも、実際に建てられた構造物の記録こそが、保全・改修・解体の全てを支える資産となる。
この思想をデータ管理に適用する。すなわち、「実際に何が起きたか」の記録を、後から検証可能な形で資産化する。センサーデータ、製造指示、作業記録、品質検査結果──それらが「いつ、誰が、どのような状態で取得・承認したか」というトレーサビリティとともに、デジタル署名を伴って保存される。
これは単なるログ管理ではない。信頼を設計するという行為だ。設備の経年劣化、保全履歴、運転条件の変遷──それらが一つの「信頼資産」として継承されることで、プラントは世代を超えて最適化され続ける。
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