ドマさんの徒然なるままに【第83話】 GMP界隈

第83話:GMP界隈
序章
最近、「●●界隈(かいわい)」という言葉をよく耳にする。例えば、「風呂キャンセル界隈」なんて言葉である。タイパ(これ自体が比較的最近の言葉かと思うが・・・)のため、日々はシャワーで済ませ、湯船には稀にしか浸からないといった若者が増えていることから発生したようである。湯船に浸かるかどうかは、個人的趣味の問題なのでどうでも良いのだが、その“界隈”という言葉の使い方に違和感を覚える。
「界隈」という言葉、少なくとも筆者のような老人(自分では認めたくないが・・・)としての認識は、近所や周辺といった地名+界隈という用法だったと思う。例えば、「渋谷スクランブル交差点界隈」とか「新宿歌舞伎町界隈」といった感じである。それが、時代とともに「共通の関心を持つ人々のコミュニティ」を指す言葉へ意味の拡張が起こり、最近では「行動パターンの共有」を表す言葉として定着しつつあるようである*1。言葉が時代とともにその意味が変化していくという現象は、「界隈」に限らず、様々な言葉や表現に見られる。全く異なる意味に変化したり、意味が逆転してしまうといったことさえある。
さて、先の「共通の関心を持つ人々のコミュニティ」、ひいては「行動パターンの共有」といった観点からすれば「GMP界隈」があっても不思議じゃないな、なんて思いつつ、『勝手にGMP論』シリーズ*2の第15弾として本話を執筆してみた。
なお、本話においては、品質に関わるGood Practices全体、具体的にはGMP省令・GQP省令・GCTP省令・GDPガイドラインの総称として「GMP」と記しているので、その点をご容赦願います。特定のGMPや本来のGMPに限定して言及している場合には、都度具体的に表記を施しているので、その点をご了承願います。
第1章:GMP界隈ってかなり多いんじゃね!
さて、この「ドマさんの徒然なるままに」は、(株)CM Plus社のGMP Platformとしてのアーティクルである。読者の大半は、医薬品の品質関係従事者と言っても過言ではなかろう。その意味では、皆さんは『GMP界隈』と言える。界隈という意味からは、直接的にGMPに関わる製造業者や製造販売業者のみならず、間接的な業務の担当者も含まれことになる。さらに、読者だけじゃない。GMP Platform事務局のスタッフも含まれるであろう。少なくとも、今これを読んでいる“貴方”は間違いなく『GMP界隈』である。そんなバカなことを考えながら本話を執筆している。
第2章:GMP界隈に求められる意識って何だ?
序章でも述べたように、「界隈」という言葉が、「共通の関心を持つ人々のコミュニティ」へ、さらに「行動パターンの共有」を表す言葉へと変遷していっているのであれば、『GMP界隈』の意識、それに伴う行動には共通のものがあるはずである。
そもそも『GMP界隈』なる言葉も筆者が勝手に付けているだけなので、定義も無ければ、そこに求められる共通の認識や意識*3も無い。ただ、持って欲しい認識・意識はある。難しいことではない。至って簡単なものである。そう、「品質はヒトの生命に関わる重要な医薬品の要素であり、それに関わる者として、常に患者さんの安心・安全を意識している」ということである*4。もっと簡単に言えば、単に「クスリを通じて患者さんに対する思いやりを持っている」というだけで良い。
第3章:GMP界隈って品質に有効じゃね!
「医薬品の品質は安全性と有効性の源である」*4ということは、この「ドマさんの徒然なるままに」の中で何度も伝えている。前章において共通の意識として求められるものは“安心・安全”と記したが、ここで言う“安全”は副作用や副反応といった科学的な安全性だけを指すわけじゃない。そもそも副作用・副反応が医薬品としての許容範囲内になければ患者さんは安心できないし、医薬品としての承認を受けれるはずがない。ジェネリック医薬品を筆頭とした安定供給が問題視されているが、ここで言う“安定”も単なる物理的な量を言っている訳じゃなく、正確には、当該医薬品を服用する患者さんの安心感に対する“安定”も含まれると考えるべきであろう。
「病は気から」なる言葉があるが、薬局の小倅として生まれ、薬学部を出て、製薬会社に勤めた者としては、患者さんに安心を与えることが医薬品の究極の目的なんじゃないかと思っている。病気を治す、副作用が少ない、回収や欠品が無く、安心できる。これらが本来の医薬品の目的なんじゃないのか? 『GMP界隈』には、これが求められると信じている。
第4章:GMP界隈のほうがQuality Cultureより簡単なんじゃね!
『GMP界隈』は、あくまで個人に対して言っていることになりますよね。一方で、『Quality Culture』は組織、ひいては会社に対しての話ですよね。組織も会社も個人から成っているということは事実であるが、医薬品品質関係でいう『Quality Culture』は企業風土とも言うべきもので、個人レベルの話ではないと思う。そんな風に考えると、まずは『GMP界隈』の者として、先の第2章・第3章で述べたような、品質に対する患者さんへの想いを意識して貰いたいと願う。まずは自分個人として意識するだけで済むことなので、簡単なんじゃないですかね。そんな意識を持つ者が集団化すれば、結局は“Good Practices”としての『Quality Culture』が醸成された集団に成るように思えるんですが、間違っていますかね。
第5章:これを読んでいる貴方はもうGMP界隈の仲間だよ!
もう言うまでもないと思うが、本話を読んでくださっている“貴方”は、もう立派な『GMP界隈』の一員ですよ。あとは、先の意識をもって行動するだけですよ。GMP省令やGQP省令といった法規制の条文を読み上げて、〇か×かの試験をして記録を残すことが教育訓練じゃないですよ。正確に言えば、〇/×の試験の前に、貴方の意識や認識を確認する必要があるんじゃないでしょうか。常識や良識の範囲内で結構だと思います。医薬品というヒトの生命に関わる者、それがどんな作業であったとしても、関連業務に従事しているということ自体、どう対応すべきかということは、それが最適か否かはともかくとして、常識・良識の範囲内のことなんじゃないですか。少なくとも筆者はそう思っている。
第6章:GMPハラスメント
前第5章での記述が誤解を招く可能性があるので、明確にしておきたい。GMP省令やGQP省令の条文の読み上げが無意味だと言っている訳ではないし、〇/×方式の試験が非効果的だと言っている訳でもない。受講者の性格やレベルを考慮しない、またその作業内容を鑑みない一方的な教育訓練は、“お受験”的なファクターを強めてしまい、見かけは“GMP優等生”だが、実際の作業には意味をなさないといった状況を生じさせる可能性があると言いたかっただけである。時に、それはBlind Complianceを導くことになり、最悪、反発を生じさせてしまう可能性さえある。そうなってしまっては、何のための教育訓練だか分からなくなってしまう。色々な会社様を傍から見てきた筆者として、そんなことを危惧するのである。
不適切な受講者が、正しい理解をしている(しようとしている)者に対して、あたかもSNSのような“バッシング”や“負の拡散”をしでかす可能性は無いのだろうか。人間の本性なのかどうかは計りかねるが、他人を褒めるような言葉よりも、他人をけなす(or おとしめる)言葉のほうが圧倒的に影響力が強く、浸透し易いようである。まっとうにGMPを学び理解する(しようとしている)者からすれば、「GMPハラスメント」である。こんなことにだけはならないようにして欲しい。
第7章:GMPプライド
先のハラスメント的押し付けをする者、率直に言って、省令やガイドライン等の文字面を額面通りに覚えて、書いてある/書いてないの議論をしたがる者に多い。良く言えば、記憶力の良い勉強家とも言えるが、その要件が“なぜ”求められるているのかの本質に辿り着いていないのである。悪く言えば、なぜなのかの理由をそもそも考えていないのである。
こういう者が周囲にいる場合、貴方が一人前の『GMP界隈』になるためには、より柔らかな頭で考え、より柔軟な対応をすべきであろう。「ドマさんの徒然なるままに 第5話:X+Yの悲劇」の中にも記したが、「要件を満たすためには本質を見極め、そこを突くしかない」のである。周囲の曖昧模糊としたGMP講談や形式的対応に惑わされずに、自身の中できっぱりと意見を具申できる、対応できるレベル、貴方の「GMPプライド」に磨きをかけてみませんか? そうなれば、貴方は立派な『GMP界隈』の巡礼者とも言えるんじゃないでしょうか。
終章
『GMP界隈』なんてものが現実に存在する訳じゃない。勝手にタイトルに付けただけである。ただ、医薬品に関わる者としての根底にあって然るべき意識を述べたかっただけである。そう、医薬品の三要素である、安全性と有効性とそれらの源である品質、そして、医薬品の存在意義、たったそれだけのことを忘れて欲しくない。それが製造であれ、販売であれ、何らかの形で医薬品を取り扱うこと自体は、ビジネスである以上、儲けを考えることも当然のことである。
ただ、安全性と有効性の源である品質を蔑ろ(ないがしろ)にしてまで儲けを考えるような事態に至ることが問題なのである。問題を起こして営業停止処分を喰らった会社さん、「自分たちはそんなことは考えていなかった」と思っているものと想像するが、実際に起こった問題の言い訳に過ぎない。少なくとも、人間性を踏まえた常識・良識に基づいて考えれば、「何をどうすれば良いか」くらい、GMP云々以前に判断が付くんじゃないでしょうかね。安定供給は、あくまで「品質に問題ない」ということが大前提であり、「承認書記載事項やSOPに従う」*5なんてことくらいは、常識・良識の範囲内なんじゃないですか? それが『GMP界隈』の一員となる資格だと思う。
本話、筆者の素朴な違和感とそれに対する心情を綴ったものである*6。これを読んでくださっている読者は、健全な『GMP界隈』にいる者であるはずである。良い意味で“拡散”してくださることを願っている。
では、また。See you next time on the WEB.
【徒然後記】
0点
自分で言うのも何だが、筆者、学校の成績だけはかなり良かった。ただ、生涯一度だけ「0点」を味わったことがある。あれは、高校2年の2学期始業式の日であった。当時は、通常、始業式日に授業はなく、オリエンテーションの類だけである。そう思っていた(思い込んでいた)。それが突然、担任(数学の教師)が、「これからテストを行う。中間・期末試験の成績とは無関係である。」として数学のテスト用紙を配り出したのである。想定外のテストに意表を突かれたものの、当のご本人、ラジオの深夜放送を聞き入り、毎朝11:00頃にお腹が減って起きるといった怠惰な生活のため、問題を考えるどころか眠い・・・。ボーッとして時間が過ぎ、「はい、そこまで!」という先生の言葉で目が覚めた。当然、テスト用紙は白紙。後日、職員室に呼ばれ、お小言。生まれて16年の中、初めての0点。結果的には、0点を取ったのは、これが我が人生中、最初で最後であった(赤点はあります。それについては別の機会に)。
ただ、この失敗で学んだことがある。筆者にとって一番必要なことは、勉強することよりも、ふしだらな生活を回避すること。翌年は高校3年で大学受験を控える。そこで気づいた。来年の夏休みは予備校の夏期講習に行こう! ということで、翌年は夏休みの1ヵ月間、隣町にある夏期講習に通った。ハッキリ言って、夏期講習の内容自体はあまり役に立たなかった。が、目的とした規則正しい生活のリズムは確保できた。それはそれで良かったのだが、元々が勉強目的でないことから、別のオマケを経験した。それについては次話の後記にでも記すことにしよう。
50年以上も前の古い話ではあるが、現在にして思えば、高2の0点は致命的逸脱である。しかし、その根本原因究明と措置は、的確なCAPA対応とも言えるものであった。
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*1:【参考】YAHOO! 知恵袋より
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11311765926
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12233835532
*2:直近、第14弾の 『勝手にGMP論』シリーズは、「第79話:Overcontrol」です。
*3:認識と意識の違い(意味解説辞典より)
「認識する」も「意識する」も、とある対象について考えているときに用いる言葉であるが、「認識する」という言葉には、「理解する」という意味がある。これに対し「意識する」という言葉は、「気付く」や「気にかける」という意味であり、必ずしも理解しているとは限らない。
*4:例えば、「第23話:医薬品開発の点と線・Part 1」を参照のこと。
*5:承認書記載事項やSOPが実際の手順として正確に反映・運用されているか否かは、第三者の視点でチェックしないと分からないというのが現実である。QAがその第三者の役目ではあるが、QAが能力不足、ましてや組織ぐるみであれば、乖離を見抜くことは、かなり難しい。組織内の一員として、もし「何か変だな?」と思うことがあるのであれば、まずは「常識・良識としてどうなのか?」と考えることは有用な手法だと思っている。GMP界隈の経営陣としては、そんな意識を持つ者を育て、具申し易い状態とすることが望まれる。
*6:本話冒頭で述べた「違和感」は、言葉の使われ方に対するものであるが、ここで言う「違和感」は、医薬品品質に対する意識としての意味合いを込めている。「こいつ、GMPとは、医薬品の品質とは、といったことを踏まえて書いているな!?」とお察しくださったのであれば、貴方はGMP界隈の優秀合格者です。
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