ある監査員の憂鬱【第4回】

大嫌いだったQA職がライフワークに


本稿はフィクションを含みます。実在の地名、人物や団体などとは関係ありません。でも、監査経験の浅い皆様の不安を和らげたい、お役に立ちたい気持ちと、お伝えしたい情報に偽りはありません。

私が初めてGMPに関わったのは工業的な原薬製法の開発と治験原薬の製造でしたが、その頃は品質保証(QA)が大嫌いでした。若気の至りもあって、「重箱の隅をつつくような間違え探しの何が面白いのだろう」と半ば軽蔑すらしていたので、数年後にQA部門に異動になったのは運命の悪戯としか言いようがありません。まさに本連載のタイトルにある「憂鬱」を感じたものですが、時が経つうちにGMPの奥深さや面白さが見えてきて、いつの間にかQAの職歴が一番長くなっています。その間に多くの品質監査を担当しましたが、特にヒヤヒヤの連続だった海外でのエピソードを書いていこうと思います。

《フランスにて》
日曜の昼下がり、同僚と私はパリから電車で2時間ほど、目的地まで約20 kmの駅に降り立ちました。ところが、駅前は閑散としてタクシーは1台もいません。駅の案内所でタクシー会社の電話番号を教えてもらいましたが、電話口で“Do you speak English ?”と尋ねると、そのまま電話を切られてしまいます。困り果てていると、駅に向って来る学生風の女性グループが目に入りました。東洋人のオッサン二人が声を掛けたら嫌がられないか躊躇しましたが、背に腹は代えられません。英語で事情を話すと、ありがたいことにタクシー会社にフランス語で電話してくれ、お陰で配車してもうことができました。

監査を効率的に進める潤滑油として、私はオープニング会議の最初に現地語で挨拶することにしています。もちろん、カタカナで書いたメモの棒読みですが、拍手か笑いのどちらかをもらえるのが常でした。ところが、このときの会議室は静まり返ったままで、私のフランス語が救いようのない発音だったのかと開始早々に凹んでしまいました。後で振り返ってみると、この工場は外部の監査を受ける機会が少なかったようで、「単に緊張しておられたのかもしれない」と自分を慰めています。

「フランス人は自国語に誇りがあり、英語を話せても、英語での会話を嫌がる」とも言われていますが、これは違うと私は感じました。確かに、他の欧州諸国と比べると英語でのコミュニケーションに不自由も感じましたが、国土の広いフランスでは日常的に英語を必要とする人が少ないだけで、英語で話しかけられると石になってしまう日本人が多い(近年はそうでもない?)のと似た事情ではないでしょうか。自動通訳ツールの進歩には目覚ましいものがありますが、肉声での不自由な会話にも趣があるもの(と思いたい)です。

《オランダにて》
日本では製薬用水の原水に井水を用いることが普通に行われており、汲み上げたままの井水が「日局常水」の規格に適合する場合もありますが、井水の管理について海外の監査者から理不尽な追及を受けた経験はないでしょうか。日本のように全国どこでも水道の水を飲める国は世界中に10か国ほどしかないそうですから、良質の水源に恵まれた日本の事情を信じられない監査者もおられるのだと思いますが、似たような質疑応答の擦れ違いをオランダで経験しました。

訪問した製造所の精製水製造設備で、公共水道の水が活性炭などの前処理なしでROユニットに供給されていたので、私は「RO膜が塩素で劣化しませんか」と尋ねました。日本では「給水栓における水が、遊離残留塩素を0.1 mg/L以上保持するように塩素消毒をすること」を水道事業者に求めており(水道法施行規則 第17条)、このレベルの塩素濃度なら逆浸透膜の性能が低下するだろうと懸念したのですが、どうも質疑応答が噛み合いません。水道水に遊離塩素が含まれていることは私にとって常識でしたが、オランダでは事情が異なっていたのです。良質の水源に恵まれている背景は日本と似ているものの、トリハロメタンなどの消毒副生物の生成を防ぎ、より自然な水を供給するという思想から、配水管網を厳重に管理する一方、供給する水には塩素添加しないのが一般的なのだそうです。

 

 

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