ツルハシを振ったら、ゴールドではなくプラチナだった【第2回】
プロローグ:正解の地図で、迷子になる
知らない土地で、地図を広げる。
地図が正確であれば、現在地と目的地を結ぶルートは見つかる。しかし地図が描いているのは、過去の誰かが「ここに道がある」と記録した結果だ。なぜその道が選ばれたのか、どんな理由で橋が架けられたのかまでは、地図に記されていない。
地図が読めるのと、地図の背景を知っているのとでは、レイヤーが違う。
プロセス設計の現場でずっと感じていた「心許なさ」を例えるとそういうことのようだ。私たちエンジニアは精緻な地図——完成図書、仕様書、設計基準——を持っている。しかしその地図がなぜその形をしているのかを、道を切り拓いた人のレベルで問うことなく使ってきた。
地図を正確に読み、活用する術は心得ている。そこにあることが当たり前過ぎて、地図を問うことを、すっかり忘れている。
「ここに書いてあった」という答えの、致命的な欠陥
駆け出しのプロセスエンジニアだったころ、私はポンプのデータシートを作成して、回転機エンジニアにこっぴどく叱られたことがある。
流量、揚程、吐出圧力——規格品選定に必要な数値を拾い上げ、所定の欄に記入した。私はそれなりに仕事をしたつもりでいた。
回転機エンジニア「この揚程の根拠は?」
私「ここに書いてありました」
「書いてあった数字を写しただけなら、お前がいる意味はない。なぜこの数字なのかを説明できなければ、データシートではなくコピーだ」
このやりとりは現代においても“チャッピーが言ってた”構文と一致する。
つまり、記録の転記であり、思考の記録ではない。完成図書に書かれたテキスト、数字や図形には、それが選ばれた理由がある。設計上の判断がある。過去のトラブルへの対応がある。しかしそれら背景は人に伝えるための言語に収斂する過程で、静かに内包されてしまうのである。
当時の私は、それが自身の存在意義を下げていることに気づいていなかった。
完成図書は結論を記録して、思想は記録しない
完成図書が記録するのは「何が決まったか」だ。「なぜそう決まったのか」は、記録されない。
これは意図的な省略ではなく、構造的な必然だ。様式には決められた欄しかない。「なぜ」を書く欄は、最初から存在しない。書く必然性がなかったし、書かなくても建設できた。
結果として何が起きるか。
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