ツルハシを振ったら、ゴールドではなくプラチナだった【第3回】
第3回|解剖
考えた痕跡はある。でも、記憶にございません。
プロローグ:痕跡だけが残る
議事録が残っている。メールのやりとりが残っている。承認済みの資料が残っている。変更履歴が残っている。
確かに考えた痕跡はある。しかし何をどう考えたかは定かではない。記者会見の「記憶にございません」を擁護するつもりはないが、これは記憶力の問題ではなく、痕跡と思考は、別物ということだ。
議事録が、議論したこと、決まったことを記録するのに対し、思考は、”なぜそう決まったのか”のプロセス。前者は爪痕として残せても、後者は個人に内在したままである。通常、見えないものは他人からすると“なかったこと”に等しい。
ツールが増えた。思考の痕跡も増えた。しかし。
この30年で、情報伝達のツールは劇的に増えた。
手計算は電卓から表計算ソフトに置き換わり、文書作成ソフトが清書の手間を消し、スライドツールが図解を民主化した。メールが手紙を駆逐し、追い打ちをかけるようにチャットが年賀状文化を変容させた。
情報量のエントロピーは増大し続けている。伝達速度も上昇し続けている。
しかし、同時に何かが失われているように感じる。
思考の純度。
ツールが増えるほど、やることが増える。フォーマットを整え、フォルダを管理する。通知をさばき、バージョンを確認する。権限を設定し、実態に合わせて更新する。
これらはすべて、思考ではなく操作。操作に時間を使うほど、思考に使える時間が減る。まさに人は心を亡くした忙しさで動くため、さも頭を使って仕事をしているような錯覚に陥る。
「便利」の解剖
「便利になった」とはどういう状態か。
時間が短縮される。労力が減る。エラーが減る。情報共有が容易になる——いずれも事実であることに異存はない。しかし「便利になった」ことで何が増えたかを、振り返ることをあまりしていない。
できることが増えた。やることが増えた。情報が増えた。選択肢が増えた。確認すべきことが増えた。
そして判断も増えた。
判断が増えることは、一見良いことのように見えるが、質が問われる。
テンプレートの中から選ぶ判断。前例を参照して決める判断。ツールが提示した選択肢を採用する判断——これらは判断というより、照合に近い。
照合は速い。速いから便利に見える。しかし思考の純度を上げない。
純度の低い思考は、記憶に残らない。記憶に残らないから、同じ照合を何度も繰り返す。繰り返すたびに痕跡だけが増える。エントロピーは増大するが、何も積み上がらない。
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