奈良から発信する“品質”のコ・コ・ロ──くすりの歴史と現場のいま【第2回】

第2回 ― 歴史が育んだ文化と奈良の薬のプロフィール ―

奈良県で薬務行政を担当している橋本です。前回の第1回 では、医薬品の安定供給と品質保証体制の見直しの必要性から生まれた新規ワークショップ事業についてお話ししました。今回は、その土台となる奈良の「くすり文化」について紐解いていきたいと思います。

奈良と薬の関わりは、実に千年以上の歴史を有しています。日本書紀によれば、推古天皇が現在の宇陀地方で"薬狩り"をされたという記録があります。これは西暦611年のことです。天皇が狩猟をしようとした際に皇太子が諫め、代わりに中国の風習にならって薬草を採取した、というのがこの薬狩りの由来です。すでにこの頃から薬草が重視され、国家や民衆の健康を守る存在として薬が認識されていたことがわかります。

●薬と神々のつながり

奈良はまた、「薬の神様」とも縁の深い土地です。大神神社(おおみわじんじゃ)では、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を主祭神に、大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)が配祀されており、医薬と農耕の神々が祀られています。毎年4月18日には、疫病鎮静と無病息災を願う「鎮花祭(はなしずめのまつり)」が行われ、薬と祈りの文化が今も息づいています。

●正倉院のくすりと寺院の施薬文化

奈良の東大寺・正倉院には、21の漆櫃に納められた60種類の薬が伝わっています。これらは単なる奉献されたものではなく、実際に病を患う人々への施薬を前提として用意されたものでした。
このことは、正倉院に伝わる「奉盧舎那仏種々薬帳」(正倉院に収められている薬物群(正倉院御物の薬)の由来や使い方を示した記録)に記されています。
「以前(列記した薬物)堂内に安置して盧舎那仏を供養す。もし病苦のため用うべき者あれば、僧綱に知らせて使用を許可する。伏して願わくば、この薬を服用する者は、万病はことごとく除かれ、千苦はみな救われ、諸善は成就し、諸悪は断ち切られ、長寿で夭折することない。そして死後は極楽浄土に往生し、盧舎那仏に会い、仏法世界を体得できるように。」つまりこれは、薬の使用が単に病の治癒にとどまらず、精神的救済(仏の教えとの出会い)につながるという、仏教的思想に基づいており、このことを記録した薬帳は、まさに信仰と医療が融合した姿を今に伝えています。

●“お茶は薬だった”ことを今に伝える ― 西大寺の「大茶盛」

「西大寺の大茶盛」は、奈良市にある西大寺で行われる伝統行事で、とても大きな茶碗でお茶をふるまうユニークな法要です。現在では観光イベントとして知られていますが、そのルーツはお茶が「薬」として重宝されていた時代にさかのぼります。
茶は古くから日本に自生していたという説がありますが、はっきりしたことはわかりません。
平安時代の末から鎌倉時代の初めごろ、留学僧の栄西が中国からお茶の種と飲み方を持ち帰り、栄西は著書『喫茶養生記』の中で、「茶は養生の仙薬なり、延齢の妙術なり」と記されているように健康のために飲むこと(喫茶)を広めました。
奈良では、大和高原などの涼しい気候を生かして、般若寺や室生寺などの寺院が栽培に取り組み大和茶の産地として知られるようになりました。

 

 

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