人口を増やすな、人口を減らすな

米空軍で毎週聞いた金曜の説教


はじめに

金曜の午後になると、屈強な軍人が数百人、講堂に集められる。そして上官が真顔で言うのだ。
「よく知らない人と、勢いで結婚するな」
冗談に聞こえるかもしれないが、これが毎週の公式行事である。
私は中学まで日本で育ち、高校からアメリカに渡って、卒業後そのまま米空軍に入った。担当は物資管理──いわゆる補給で、任期の4年を勤め上げ、いまは日本に戻って東京のスタートアップで営業をしている。要するにまだ25年しか生きていない若造だが、環境の変わり方の激しさだけは、人一倍だったと思う。

日本育ちの人間にとって、アメリカは十分に外国だった。だが本当の異文化は、そのアメリカの中にあった。軍隊である。今日はその話をしたい。本サイトのテーマであるGMPとはほぼ何の関係もない読み物なので、肩の力を抜いてお付き合いいただきたい。

1.日本の中学生、アメリカの高校に落ちる

最初のカルチャーショックは、高校だった。
まず、校内に警官が常駐していた。ロッカーは学校の都合でいつでも開けられ、問題を起こすと土曜日に登校させられる。「アメリカの学校は自由」と聞いて渡ったのに、しっかり管理されている。ただ、管理のポイントが日本と違うだけだった。あとから思えば、日本の学校は髪型と靴下の色を、アメリカの学校は安全を管理していたのだろう。
教科書にも驚いた。学校からの貸与品で、表紙の裏には歴代の使用者の名前がずらりと並ぶ。10年選手のボロボロの一冊を渡された日には、新品の教科書に名前を書く日本の春が、少しだけ恋しくなった。
もっとも、高校まではまだ「外国」の範囲で済んでいた。卒業後に入った空軍は、外国どころか別の惑星だった。

2.「辞めたら犯罪」の職場

空軍に入ってまず理解したのは、これが「辞められない仕事」だということである。

入隊は年単位の契約だ。途中で嫌になって職場に行かなくなっても、それは退職ではなく「無断離隊」という犯罪になる。仲間うちには「民間の仕事は、辞めても逮捕されないらしい」という定番ジョークがあった。
考えてみれば、それまでの人生で「どうしても駄目なら辞められる」という保険のない約束を、私はしたことがなかった。その保険が一切ない契約に、18歳でサインしたのである。おかげで、本気で適応するしかなかった。人間、退路がないと意外と何とかなるものらしい。

文化も何もかも独特だった。会話の半分は略語で、車はPOV、食堂はDFAC、出張はTDY。時間の感覚も違う。「9時集合」は8時45分着が常識だが、上官が「15分前に来い」と言い、その上の上官も「15分前」と言うので、集合時間は連鎖的に夜明けへ近づいていく。誰も得をしていない。
その一方で、軍は若者を驚くほど信用する。補給の世界では、19歳や20歳が倉庫を任され、数億円分の物資に責任を負う。ただし信用のかたちは独特で、何をするにも記録とサインが要る。手袋一双の支給にも記録、返ってこなければまた書類。「人は信じる。ただし記録は残す」──この世界観、本サイトの読者の皆さまには、どこか馴染みがあるかもしれない。

 

 

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