奈良から発信する“品質”のコ・コ・ロ──くすりの歴史と現場のいま【第4回】
第4回 ─ GMP適合性調査の現場から (1)-古き慣習と“文化を変える”難しさ ─
奈良県で薬務行政を担当している橋本です。
これまで多くのGMP適合性調査を行ってきましたが、印象に残っている二つの事例があります。
1. 印象深い二つの事例
一つ目は、GMPに係る自己点検で“毎回100点”を報告していた製造所です。
よく確認すると、前年の記録に実施日だけを差し替え、同じ実施結果報告書を使い回していたものでした。形式上は「すべて実施済み」と整然と記されており、一見は問題ないように見えるものの、実際には“点検そのもの”が行われていなかったのです。
もう一つは、製造記録の清書です。
現場の担当者が作成した記録を責任者が集め、誤字や乱雑な字を直して「きれいな記録」として書き直す運用でした。後から読み返したときに整然として見えるように──そんな意図から始まったことでしたが、元の記録は破棄され、残っていたのは“後から整えられた清書版”だけでした。結果として「その時の生の事実」が失われてしまう形となっていました。
2. 背景にある“想い”と“意識”
こうした事例は、単に「規制を理解していない」「意識が低い」と片付けられるものではありません。むしろ逆で、“品質を大切に想う気持ち”が強かったからこそ生まれた側面があります。
自己点検について言えば、日々の製造現場は非常に多忙です。限られた人員で生産を回し、日常の記録や出荷判定業務も抱えています。その中で、じっくり時間をかけて冷静に振り返る余裕はなかなか生まれません。そのため、「毎年決まった時期に、同じ形式でまとめる」という習慣が根づきやすくなります。
一方で、そこには「整った姿を示したい」「間違いなく管理していると認められたい」という気持ちも込められていました。
記録の清書も同じです。嘘の記録を作ろうとしたのではなく、「不完全なものを残してはいけない」という考え方がありました。長く続く企業文化の中で、整った帳簿や文書こそが“信頼の証”とされてきたからです。
また、これら事例の背景には組織体制の弱まりも見られました。長年続けてきた製造所では人材不足が進み、本来なら複数人で担保すべきチェック機能が働きにくくなり、「記録の清書」や「結果の使い回し」が温存されやすい風土になっていたのです。
3. 老舗に根づいた“きれいな記録”の文化
これらの製造所は、いずれも長い歴史を持つ老舗です。従業員の多くは長年にわたり製造に携わっており、昔からの技術や知識、価値観を大切に守り続けてきました。
かつての時代は、「きれいに整った記録=しっかりした管理」の象徴とされ、取引先や行政に“良い姿”を示すことが重要視されていたのです。
取引先に示すにしても、行政に見せるにしても、整った書類こそが安心を与えると信じられてきたのです。
そのため、記録の形は美しく整っていましたが、その一方で“事実をどう残すか”という観点は置き去りになっていました。
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