経歴 布目技術士事務所 技術士 衛生工学部門:水質管理 1972年栗田工業(株)入社、1992年野村マイクロ・サイエンス(株)入社。2011年布目技術士事務所(製薬用水コンサルタント)開設。製薬用水のスペシャリスト。
2017/02/15 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第9回】
9.ROによるWFI製造の試み 蒸留器によるPyrogen除去能力に対して懐疑的だった日本の注射剤製造現場の人達は、WFIを安全に製造する目的で、蒸留器の前段でPyrogenを除去する手段を検討しました。先ず、ROによる膜分離が検討されました。今回は、ROによるWFI製造とその問題点についてお話しし
2017/01/19 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第8回】
8. 膜分離による無菌水製造 膜分離はろ過操作であり蒸留操作とは大きく異なります。膜には水が透過できる孔があり、透過できない粒子を阻止することができます。微生物体長よりも小さい孔径を持つ膜によって、微生物を排除することができます。 注射用水(WFI)に含まれてはならない発熱性物質(Pyrogen)
2016/12/22 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第7回】
7. 蒸留器へ疑問の持つ人達の存在 蒸留による注射用水製造に対して疑問を持つ人達がおりました。今回は、この疑問の背景とその対応の話です。 1) 蒸留器へ疑問を持つ人達の存在 蒸留器はWFI(注射用水)を製造する最終装置として世界中で使われ、イオン交換水を蒸留器へ通水することにより、WFIを得るとい
2016/11/24 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第6回】
6. 蒸留器が発停を繰り返すことによる汚染Risk 蒸留器は常に発停を繰り返しています。蒸留器出口が、ユースポイントに直結していてWFIを使い続けることは極々稀なことです。通常は、WFIタンクが満杯になったら蒸留器をいったん停止もしくは待機させ、WFI使用開始により、タンクレベルが一定位置まで下がる
2016/10/20 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第5回】
5. パイロジェンとものさしについて WFIに含まれてはならないモノはPyrogenだと教えられ、製薬用水の仕事を始めました。Pyrogen: pyogeneous substance(発熱性物質)は、恒温動物体内で体温上昇作用を引き起こす物質の総称であります。注射によって異常な熱が発生しては大変で
2016/09/20 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第4回】
4. 蒸留という単位操作と汚染防止 蒸留は水浄化法として優れた手段です。蒸留によって海水から真水を造ることを皆さんはご存知でしょう。中近東の砂漠地帯では、石油は豊富に産出しても、オアシスは少なく飲料水は貴重であり、鹹水(かんすい:塩湖の水)や海水を蒸留して飲料水を造るプラントが建設されました。 一
2016/08/25 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第3回】
EUがWFI製造法を改正した理由 EU当局は、2015年4月にWFI製造法に関して歴史に残る改訂案を発表しました。この改訂は2017年4月よりPh.Eur.へ収載されることが発表されました。この改訂へ至った背景とその直接的な理由を考察します。 2002年当時、CPMP/CVMP(欧州薬局方品質と査察
2016/07/21 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第2回】
2. 三極適合という便利な言葉 三極適合という便利な困った言葉があります。WFI設備を導入する際に装置メーカーへ「三極適合で~」と伝えれば、最終装置は蒸留器になります。三極適合は、米国・EU・日本を含めた3行政体における医薬品製造に関する基準に適していることを意味します。 医薬品取引は地球規模になり
2016/06/15 AD 施設・設備・エンジニアリング
WFI製造プロせすへの思い【第1回】
水処理の仕事を始め10年余りが経過した頃、製薬用水の仕事に従事することになり、蒸留器(Distiller)やPure steam発生器を扱うようになりました。これらの機器は、純水を間接的に加熱することによって、純水から水蒸気を発生させ、Pure steamから蒸留水を製造するしくみでした。 それま
2015/10/15 AD その他
プロせすを楽しむ (4) ~うなぎとやきものを楽しむ~
1.これは何でしょうか? 陶芸家の川瀬忍氏は、美術商の方々から「これは、何でしょうか?」の一言に、辛い思いをし、耐えていたように思う。工人として、焼き上がった自作に対して、「最初に本人がしなくてはならない選別に、絶えず悩んでいた」と陶説738号(日本陶磁協会発行)に書かれています。 川瀬忍氏は、お祖