ソー責のソー肩にはソー当重い責任がのっている!【第6回】


中国
 技術の調査の目的で、初めて中国に出張したのは1984年であった。上海、武漢、重慶、北京というコース、当時はほとんどの人が人民服を着、赤い☆のついた帽子をかぶっていた。外国人がつかうお札は、中国の人が使う人民元ではなく兌換券である。市場で兌換券を出すとこれは中国のお金ではないと言われたこともあった。
 
 上海では、製薬工場を訪問し、技術交流をした。空気はその当時も石炭のせいか良くはなかった。仕事のあとは、上海で有名な和平飯店(ピースホテル)にでかけ、夜は上海蟹を沢山頂き、仕事もするが、観光もするという余裕があった。
 
 武漢には、夜、空港に着いたが、真っ暗な空港で飛行機から降りると雨、滑走路を大きなスーツケース(中には日本から持参したカップラーメン、梅干しやミネラルウォーターの大きなペットボトルなどを食料が主)をごろごろと転がし、ずぶ濡れになりながらうす暗い小屋のような空港待合室をめざし走った。
 
 翌日、目的の工場に出かける途中、タクシーから外をみていると自転車がぶつけたようで喧嘩をしている。そのようなことを何度か見かけた。どうも武漢は三国志の世界で気が荒いところらしい。訪問した製薬工場の入り口に、鶏が二羽片足ずつつながれてバタバタしていた。気持ちを合わせれば逃げられるのだが、なるほど鶏は二人三脚ができない。

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