理系人材のための美術館のススメ【第5回】

第5回「時代の流れを垣間見る散歩」

 美術館にあまり足を運ばない方向け、「理系業界に美術館のご利用をプッシュしてみよう」という本コラム。執筆から掲載まで一ヶ月かかるので、リアルタイムの美術展の話はしにくいですが、いい展示がそろそろ終わるなーという頃合い。筆者は「公開きたわ『動植綵絵』!」とばかり芸大美術館で若冲を堪能したところです。
 これ前回はコロナ禍前に、若冲展で平日3時間待ちをやらかされて、涙を飲んで諦めたヤツですよ、予約制もこういう時にはありがたいです(散歩には邪魔ですけどね)。
 コロナも一山超え、いろんなことが時代とともに変わります。そんな中で今回は、ちょっと、昔のお話を交えながら、公立ではない企業美術館のお話を。

【覚えている方は覚えている】
 新宿にある現SOMPO美術館は、以前は東郷青児美術館といい、その後社名が変わると共に何度も名称を変え、2020年までは「東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館」という「なんて呼ぶのがいいんだよ!」…と途方に暮れるようなお名前の美術館でした。保険会社の合併は、銀行レベルでありましたからしょうがないとはいえ…。
 この西新宿のど真ん中にある美術館が、ゴッホの「ひまわり」を持っていることは、ご存知の方はご存知ですし、手に入れたときのことを覚えている方は覚えているでしょう。1987年は、私もまだがきんちょでしたがよく覚えています。
 このまだバブル華やかなりし、ベルリンの壁もソビエト連邦も存在した冷戦下の時代、各企業は利益を社会還元するため「メセナ(企業の文化芸術的支援)」という名のもとで、けっこうな金額を美術品購入にあてていました。その中でも「ひまわり」は飛び抜けた落札価格だったため(当時のレートで53億、落札最高額)、さんざTVで非難がましい報道がなされたのは印象的でした。海外でも評判よくなかったですからね、欧州で「贋作疑惑」が出たのは、日本が金にあかせてなんでも買いあさってるぞ的マイナスイメージが手伝っていたのは間違いないでしょう。

 ただ、そういう行為がその後どうなっていくかなんて、結局のところ時代を経てみなければ分かりません。

【時代ってありますよね…】
 バブル崩壊後、主に百貨店系施設が保有していた美術館は、十年くらいの間にがんがん潰れました。東武も西武も、伊勢丹も小田急も三越も、今は嘘のようですが当時みんな美術館を持っていて、そして閉館しています。西武からセゾングループのよう、別の系列に収蔵品ごと切り替えられたところや、ぎりぎり残っている横浜のそごうのようなケースもあるにはあるんですが、散逸したものも多いです。
 百貨店が美術館を持っていたのは、日本の「美術展」が催事に端を発している事情もあるのですが、美術館としてキープするのは困難、という当時の経営判断はけして間違いではないと思います。美術品は、持っていれば金を食います。
 時に時代の中で金を食い続けるだけにもなる美術品を、長期にわたって守るには明らかに強烈な「意思」が必要です。百貨店と違い、たとえば三井記念美術館には、基本的に「三井家のお宝」を守る使命があります。この使命を「時代だからね!」と放り投げることはまずありません。また、旧ブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)は、創業者が戦後すぐに創業者が作り上げた、国内有数の美術コレクション(石橋コレクション)を手放すことはできません。でも、何度も名前の変わる損害保険会社が、今に至るまでそのコレクションを手放さず守り通したことは、素晴らしいことだと個人的に思います。
 三井三菱みたいな元財閥じゃあるまいし、バブル期に買ったものを売ったって、本質的な咎めはなにもなかったでしょう。実際、同時期に日本製紙(当時の大昭和製紙)の名誉会長が買ったゴッホとルノアールは、バブル崩壊と共にさっさとサザビーズに売却されています。そうでなければ、オークションハウスは成り立ちません。
 けれどSOMPOの「東京に本当の目玉になる美術品が必要だ」という意思は、今や「社屋の上の階」ではなく、ぴっかぴかのSOMPO美術館単体として公開されていて、「ひまわり」は倍額出しても手には入らない、時はいつの間にかそういうところまで流れています。
 

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