2019.05.17.FRI

ユーティリティ

エッセイ:エイジング話【第3回】

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執筆者:布目 温

瓶子(へいし)とリユース

 映画にも小説にもなった「永仁の壺(えいにんのつぼ)」事件では、当時文部省技官で文化財専門審議会委員であり、前回この欄で話題にした六古窯の提唱者でもある小山富士夫氏は、この事件の責任を取り審議会委員を辞任されました。
 六古窯の1つ瀬戸の地を舞台に起こった、モノの鑑定にまつわるまことに稀な事件、この時代だったからなし得た、当事者二人の変身劇をエイジングとして取り上げます。
 やきものに馴染んだ人なら、誰もが知っている加藤唐九郎氏が「永仁の壺」をねつ造しておき、事前に瀬戸猿投窯(せとさなげよう)の1つから古陶らしき陶片が出たことを、小山富士夫氏を招待して示しておき、長男の加藤嶺男氏(後に岡部嶺男)と次男の加藤重高氏に轆轤をひかせ、自らが釉薬かけと文字を施したとされる壺を重要文化財に認定させてしまったのです。
 すでに名声があった人が、家族や周りへの影響、仕掛けた人の地位をも左右されることになるたくらみ、先のことを考えない究極の自己満足のために、なぜ、このような周到な行動に出たのか不思議な事件です。
 加藤唐九郎氏の真意は明らかになりませんが、モノ全体を鑑賞することなく、陶片を証拠にして鑑定する研究者に対して、すでに鬼才といわれた陶つくりが、放った実に手の込んだ一撃だったと感じます。
 また、事件後に当事者二人が取った身の振り方は、華麗なエイジングとしか言いようがありません。現在ならば、贋作を造った犯罪者と鑑定に失敗した研究者として、マスコミから袋叩きにされるところですが、見事な変身を果たすのです。
 小山富士夫氏は、事件後に六古窯を含め日本各地にある窯元巡りを行い、一人の陶芸家として生涯をすごされ、確か国立博物館にも作品が残っております。
加藤唐九郎氏にいたっては、重要文化財級の壺も作ることができる陶つくりとして、存在感をいっそう強め、その名声は変わりませんでした。
 

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布目 温

布目 温

布目技術士事務所
技術士 衛生工学部門:水質管理
1972年栗田工業(株)入社、1992年野村マイクロ・サイエンス(株)入社。2011年布目技術士事務所(製薬用水コンサルタント)開設。製薬用水のスペシャリスト。