Quality Culture【第7回】

"「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。
孔子(『論語』岩波文庫 84頁)(OTANI UNIVERSITY)より
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/kotoba/nab3mq0000040u8f.html 
(参照2020-07-21)
 「孔子の学問に対する基本的な考え方や態度が表明されています。少しわかりやすく口語訳をすれば、「物事を理解し知っている者は、それを好んでいる人には及ばない。物事を好んでいる人は、それを心から楽しんでいる者には及ばないのだよ。」という感じになるでしょう。
 さて、大学という学び舎(や)に集う私たちの日ごろの学習態度を振り返ってみるとどうでしょうか。授業で出された課題を、締め切りに追われて片付けるのがやっとのことで、学習を苦痛に感じる経験は誰しもあることだと思います。そもそも誰かに無理強いさせられていると感じているあいだは、どんな学びも決して楽しくはなりません。
 でも、どうでしょうか。たとえば、もともと外国語が苦手だとしても、ただ義務的に授業を受けるのではなく、前向きに授業に取り組むことで、よりよく身につくことでしょう。そして、身についた知識が増え、それによって、その外国語の表現やその使い方などがわかってくると、その外国語をもっと学びたいという意欲が起こってくるのではないでしょうか。
 標題のことばでは、学びについて、「知る」「好む」「楽しむ」という三段階で表現しています。「知る」とは、単なる知識の獲得を意味するのに対し、「好む」とは、積極的な意志がはたらく段階です。さらにその上に、「楽しむ」が置かれています。自ら学ぶ意志がはたらくのが「好む」であるのに対し、「学ばずにはいられない」という感情がはたらくのが「楽しむ」という段階でしょう。語学学習の場合で言えば、外国語を読んだり話したりすることで心が躍る思いになるのが、「楽しむ」という状態でしょう。このように楽しんで取り組めるとき、人は、たとえ困難があったとしても、それを乗り越えて継続することができるように思います。
 もちろん、何に楽しみを感じるかは、音楽、映画、スポーツなど人によって様々でしょう。それが何であるにせよ、「これを楽しむ」ことが、何かをやりとげる原動力になるように思われます。」

苦手なことが楽しくなる
 カラオケがとても苦手でした。いわゆる”音痴“です。人の歌が外れているのはわかるのですが、自分の歌が外れているのはわかりませんでした。
 会社の飲み会で、ずーっと歌うのを拒否していましたが、どうしても歌わなければならなくて、“北国の春”を歌ったら、途中でマイクを取り上げられたなどの悲しい経験が数多くあります。そのため、カラオケ装置があると、気分が落ち込んでいました。ずーっと、二次会でカラオケになっても拒否し続け、逃げる気持ちが優先でした。
 病気をして少し考え方が変わりました。周りの目より、自分の心の声を大切にしたい。せっかくの人生で逃げていた苦手なこと、やったことのないことに挑戦しようという気持ちに変っていました。「他の人との比較ではなく、昨日の自分との比較」と思えるようになっていました。
そんなある日に社会保険センターのセミナー募集の一つに下記がありました。
 「カラオケをボイストレーニングの基礎から学びます。苦手な人も歓迎」との説明があり、てっきり音痴の人のためのコースだと思い、申し込みましたが勘違いで、多くの人はカラオケが上手であり、基礎のボイストレーニングでさらに上手くなりたいと思う人でした。

才能とはそれにどれだけ時間を費やすことができるか。 諸葛孔明の言葉
「非学無以広才、非志無以成学」
(学ぶことで才能は開花する。志がなければ、学問の完成はない)
カラオケ教室に250時間、一人カラオケに250時間、合計500時間。これだけやると少しはましになり、かつ笑われてもよいとの自信がつき、人前で歌えるようになりました。私が歌うと、次に歌う人に“勇気”を与えることができます(笑)。「私はもう少しましだから大丈夫」と思ってもらえるのではと思うようになりました。
そして実は声を出して歌うことがストレスの発散にもなり、また楽しい時間になりました。歌うことが楽しくなったから続けられたのだと思います。
 "

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